★川瀬巴水:大丸京都店★ | |||
*下記のHPから情報や画像を借用した。 +++++++++++++++++++++++++++++ *感想:今から数年前に 「東京二十景」より『芝 増上寺』、木版画 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB: Kawase_Z%C3%B4j%C3%B4ji.jpg を見てその細やかな画像に感心した。 そんなこともあり今回、大丸京都店での展覧会に出掛けた。 京都:大丸:川瀬巴水: (令和5年11月初旬) 期待通りはじめの数枚を鑑賞しただけで圧倒された。 絵画としての美しさもあるがその色彩から彫師、や摺師の技の精細度 に驚かされる。 |
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https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002054.000025003.html 大正から昭和にかけて活躍した木版画家・川瀬巴水 (1883-1957〔明治16-昭和32〕年)。 近代化の波が押し寄せ、街や風景がめまぐるしく変貌していく時代に、 巴水は日本の原風景を求めて全国を旅し、 庶民の生活が息づく四季折々の風景を描きました。 巴水とともに木版画制作の道を歩んだのが、新時代の木版画「新版画」を推進した 版元の渡邊庄三郎(現・渡邊木版美術画舗初代)や彫師、摺師といった職人たちです。 四者は一体となって協業し、伝統技術を継承しながらもより高度な技術の活用を求めました。 そして新たな色彩や表現に挑み続け、「新版画」を牽引する存在として人気を博します。 本展では、季節や天候、時の移ろいを豊かに表現し「旅情詩人」とも呼ばれた 川瀬巴水の画家としての生涯を、 初期から晩年までの代表的な作品とともに紹介します。 まとめて観る機会の少ない連作(シリーズ)も含め約180点が展示されている。 |
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川瀬巴水(かわせ はすい) 1883~1957(明治16~昭和32)年 1883(明治16)年、東京市芝区(現港区)で生まれる。本名は文治郎。 1910(明治43)年、27歳で日本画家・鏑木清方に入門。 「巴水(はすい)」の画名を与えられる。 1918(大正7)年、35歳の時、伊東深水の木版画『近江八景』に影響を受け、木版画家に転向。 |
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「新版画」とは 大正から昭和にかけて興隆した、絵師、彫師、摺師の 共同作業によって制作された多色摺木版画です。 江戸時代に大流行した浮世絵は、明治に入ると、 印刷技術の発達や西洋文化の流入などにより、急速に衰退します。 一方で、作家自らが木版画の全工程をこなす 「創作版画」が普及していきました。そんななか、 版元の渡邊庄三郎は、高い技術を誇る絵師・彫師・摺師の共同作業で生まれる浮世絵版画の 価値に着目し、 その伝統技術を継承しながらも、新しい時代の木版画芸術を巴水とともに目指しました。 |
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%80%AC%E5%B7%B4%E6%B0%B4 「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと呼ばれる。 アメリカのロバート・ミューラーは 川瀬巴水の木版画蒐集家として有名である。かつては国内よりもむしろ海外での評価が高く、 浮世絵師の葛飾北斎・歌川広重等と並び称される程の人気がある。 |
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HPから借用した画像を纏めた。 |
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1」 「東京十二題」より『深川上の橋』:(大正9年) |
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2」 「東京十二題」より『冬の月(戸山の原)』(大正9年) |
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3」 「旅みやげ第二集」より『大阪 道とん掘の朝』(大正10年) |
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4」 「旅みやげ第二集」より『甲州 梁川』(大正10年) |
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5」 「日本風景選集」より『島原 九十九島』(大正11年) |
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6」 「東京二十景」より 『芝 増上寺』 (大正14年) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83% |
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7」 木版画「日光街道」(昭和5年) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83% |
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8」 「十和田湖 神代ヶ淵」紙本着色 (大正9年) |
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11」 《馬込の月》東京二十景 1930(昭和5)年 |
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12」 《日本橋(夜明)》東海道風景選集 1940(昭和15)年 |
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13」 《陸奥三嶌川》旅みやげ第一集 1919(大正8)年夏 |
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14」 《雪の橋立》旅みやげ第二集 1921(大正10)年2月 |
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