★テート美術館展★    
  令和5年11月中旬に大阪市立美術館で鑑賞した    
   前半は「光の画家」と呼ばれるジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(17751851年)の「陽光の中に立つ天使」(1846年出品)や
「光と色彩(ゲーテの理論)
――大洪水の翌朝――創世記を書くモーセ」(1843年出品)、
風景画で名高いジョン・コンスタブル(
17761837年)の「ハリッジ灯台」(1820年出品?)などの傑作が並ぶ。

クロード・モネ(18401926年)をはじめとした印象派の画家たち、
ウィリアム・ローゼンスタイン(
18721945年)の「母と子」(1903年)は、
親子の温かい情愛がにじみ、
ヴィルヘルム・ハマスホイ(
18641916年)の「室内」(1899年)は、淡い光で室全体の冷たい空気を伝えている。

 そのほか、実験的な芸術表現を重ねたカメラマンたちの写真作品や、幾何学的な形態を用いて光と色の関係を探ったデザイン画、
斬新なインスタレーションなども。ゆっくりと回転するガラスの球体作品「星くずの素粒子」
2014年、オラファー・エリアソン[1967~]作)は神秘的な美しさ見せる。

 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー/陽光の中に立つ天使
 
 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー『光と色彩(ゲーテの理論)——大洪水の翌朝——創世記を書くモーセ』1843年出品
 
 ゲルハルト・リヒター『アブストラクト・ペインティング (726)1990
 
 
 
   Tate 公式ウェブサイト(英語)
https://www.tate.org.uk/
   
   テート・ギャラリー:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%B

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テート(テイト) (Tate) は、イギリス政府の持つイギリス美術コレクションや近現代美術コレクションを所蔵・管理する組織で、
ロンドンなど各地にある国立の美術館を運営する。
2000年の改組以前はテート(テイト)・ギャラリー (Tate Gallery) と呼ばれたが、
それ以後はテート・ギャラリーと呼ばれることはなく、単にテイト(
Tate)という。

   
  *テート美術館展*
ホームページから借用:
   
   作品紹介:
「CHAPTER 1」:精神的で崇高な光
17世紀から18世紀にかけて欧州は理性と秩序を重んじる啓蒙の時代を迎えました。芸術表現にも共通する潮流となりましたが、
個人の主観や感性を重視するロマン主義の画家たちはこうした価値観に疑問を抱き、精神世界への関心を次第に強めていきます。
光と陰のドラマチックな効果を生かすことで人の内面や精神性に迫り、さらには予測できない出来事への畏敬の念を
絵画で表現しようとしました。
ロマン主義の先駆者、英国の画家ウィリアム・ブレイク(1757--1827年)は《アダムを裁く神》で自らの想像上の神に後光が差すような
表現を取り入れ、その姿に威厳や権威を持たせました。
人の内面性を描こうとする姿勢は、19世紀末に登場する象徴主義の画家たちの思想にも重なります。
例えば英国のエドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(1833--98年)は《愛と巡礼者》で光と陰による対比的な効果を用いて、
作品に強い神秘性をもたらしました。
   
  1」ウィリアム・ブレイク:《アダムを裁く神》1795年


   
  2」エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ:《愛と巡礼者》1896-97年


   
   「CHAPTER2」:自然の光:
移りゆく自然の光のきらめきを瞬間的にとらえ、いかに芸術作品で表現するか。この難解なテーマへの挑戦に多くの画家たちは
魅せられてきま
した。「光の画家」と呼ばれる英国のジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775--1851年)が描く光は明確な輪郭線を持たず、
ぼんやりとしていて周囲の自然に溶け込んでいます。これに対し、同時代に活躍したライバルのジョン・コンスタブル(1776--1837年)は、
卓越した画力と構成力によって自然の風景を描き出すことを追求しました。《ハリッジ灯台》は大空で移りゆく雲や大気の様子などが
作品の面積のほとんどを占め、光の加減とともに雲が変化する様子を細密に描写しています。変化する自然の風景をとらえようとする姿勢は、
後の印象派へと連なっていきます。
   
   3」ジョン・コンスタブル:《ハリッジ灯台》1820年出品?

   
   18世紀後半に始まった産業革命により、欧州では交通網が発達。19世紀半ば以降、都市を活動の拠点にしていた多くの画家たちが
自然風景を描く機会を得て、自然の光をどのようにカンヴァス上に再現するかがテーマになりました。
神話や聖書といった従来のテーマから離れ、目に見える現実の世界を描こうとする機運が高まります。

自然の光を捉えようとするコンスタブルの手法は、航海の経験を積んだ英国出身のジョン・ブレット(1831--1902年)の
《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡》にもつながります。フランス印象派のクロード・モネ(1840--1926年)の
《エプト川のポプラ並木》では光のきらめきが周囲と溶け合う様子が見て取れます。米国出身で、
ロンドンで活躍したジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(1834--1903年)も
《ペールオレンジと緑の黄昏-バルパライソ》で空に浮かぶ雲や海を主題に、光に照らされたときの色の繊細な移り変わりを再現しました。
現代を代表する作家の一人、草間彌生による《去ってゆく冬》では鏡が素材として用いられ、光の反射や屈折の効果を特徴としています。
こうした光の表現は自らの精神世界を見つめる作家の創造において重要な意味を持っています。
   
  4」ジョン・ブレット:《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡》1871年

   
   5」ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー:
《ペールオレンジと緑の黄昏-バルパライソ》1866年 Photo: Tate
   
  6」クロード・モネ:《エプト川のポプラ並木》1891年

   
   7」草間彌生:《去ってゆく冬》2005年(※写真は作品の内部)
YAYOI KUSAMA
   
   「CHAPTER 3」:室内の光:
都市の近代化がさらに進んだ19世紀末からは、室内というプライベート空間をどう描くかにアーティストたちの関心は広がりました。
窓から入ってくる光の効果などを作品に取り入れることで、人同士の心のつながりや、
個人の内面を鮮やかに映し出そうとする試みが相次ぎました。
英国のウィリアム・ローゼンスタイン(1872?1945年)の《母と子》は親子の何げない日常を描いた作品ですが、
2人の親密な関係性を裏付けるために柔らかな光を用いています。これとは対照的に、
デンマークの画家ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864--1916年)の《室内》は暗めの色づかいに統一しており、
淡い光を効果的に描くことで室内の静けさ、空気の冷たさなどの感覚を観る人に与えています。
   
  8」ヴィルヘルム・ハマスホイ:《室内》1899年

   
   9」ウィリアム・ローゼンスタイン:《母と子》1903年

   
   「CHAPTER4」:光の効果:Light Effects:
光に対して科学的な関心を抱き、アーティストたちは実験的な芸術表現をするようになりました。1830年代における写真技術の発明は、
光の特性と効果を生かす革新的な方法をもたらしました。19世紀後半には写真技術はさらに発展し、
光そのものを表現手段として用いた芸術の実験が広がりました。
1919年にドイツの都市ワイマールに造形芸術学校「バウハウス」(1925年デッサウに、1932年ベルリンに移転。
1933年ナチスによって閉校)が開校すると、世界各地から集まってきたアーティストたちは、人の目を通した現実とは
異なる世界を把握する手段として
写真を認識するようになりました。
円や四角などの抽象的な物体を被写体に選び、光と影のイメージを純粋に捉える方法を模索したのです。
この時期、動く光を用いた動的な写真表現も誕生しました。
   
   10」ルイジ・ヴェロネージ:《写真 n.145》1940年制作、
1970年代にプリント Photo: Tate, c SIAE, Roma & JASPAR, Tokyo, 2023 C4183
   
   「CHAPTER 5」:色と光:
美術と工芸、デザインの総合的な教育を目指したバウハウスでは、幾何学的な形態を用いて光と色の関係を
考察するアーティストたちが大きな足跡を残しました。
その一人であるドイツ出身のヨーゼフ・アルバース(1888--1976年)は、色は周辺の色との関係によって見え方が変わることを追究し、
幾何学的な造形の中に色を配置することで、ある色の面が手前に見えたり、一方で奥に見えたりするといった現象が起きることを示しました。
同じくバウハウスに招聘されたハンガリー出身のモホイ=ナジ・ラースロー(1895--1946年)、ロシア出身で、
のちにドイツで活躍するワシリー・カンディンスキー(1866--1944年)も色同士の関係性が生み出す視覚的効果を探求しました。
この視点は、第二次世界大戦後の抽象画家の最も重要なテーマの一つでもありました。1960年代半ば、
英国の画家ブリジット・ライリー(1931年?)は、様々な色の四角形や線を規則的に配置することで鑑賞者に錯覚をもたらす作品を発表しました。それ以降、ライリーの作品は私たちに絵画表現における光と色の関係を問い続けています。
   
   11」モホイ=ナジ・ラースロー:《K VII》1922年Photo: Tate

   
   12」ワシリー・カンディンスキー:《スウィング》1925年Photo: Tate

   
   13」マーク・ロスコ:《黒の上の薄い赤》1957年
Photo: Tate, c 1998 Kate Rothko Prizel &
Christopher Rothko / ARS, New York / JASPAR, Tokyo C4183
   
  14」ブリジット・ライリー:《ナタラージャ》1993年Photo: Tate,
Bridget Riley 2023-2024. All rights reserved.
   
   「CHAPTER 6」:光の再構成:
19世紀半ばに発明された電球は、20世紀に入ると人々の生活に浸透するとともに、
産業の発展と多様化に伴い広告にも利用されるようになりました。こうした時代背景もあり、
第二次世界大戦後のアーティストたちは光との新たな関係性を見出してきました。
米国のダン・フレイヴィン(1933--96年)は1963年から、
蛍光灯を壁に直接設置して空間全体の視覚イメージを変化させるインスタレーション作品を制作するようになりました。
英国で生まれたデイヴィッド・バチェラー(1955年?)は1990年代初頭から、都市生活を送る人々が光と
色をどのように経験するのかに着目するようになります。色鮮やかなライトボックスを用いた作品《ブリック・レーンのスペクトル 2》
は鑑賞者に都市を想起させることを試みています。英国出身のジュリアン・オピー(1958年?)は《トラック、鳥、風》で、
自らが撮影した自然や都会の風景をデジタル加工し、アニメやコンピューターゲームの画面を思わせる視覚世界を展開しています。
   
   「15」デイヴィッド・バチェラー:《ブリック・レーンのスペクトル 2》 2007年
Photo: Tate, c David Batchelor
   
   16」ダン・フレイヴィン:《ウラジーミル・タトリンのための「モニュメント」》 1966--69年
Photo: Tate, c 2023 Stephen Flavin/ ARS, New York/JASPAR, Tokyo C4183
   
   17」ピーター・セッジリー:《カラーサイクル III》 1970年
Photo: Tate, c Peter Sedgley, courtesy of The Redfern Gallery, London
   
  18」ジュリアン・オピー:《トラック、鳥、風》2000年
Photo: Tate
   
  「CHAPTER 7」:広大な光:
多様な表現を試みる現代美術でも、光は重要なテーマであり続けています。科学技術の発展によって、はるか遠い宇宙の景色、
さらには絶えず変化する地球の全体像を目にすることが可能になりました。大学で知覚心理学を学び、
飛行機を自ら操る米国出身のジェームズ・タレル(1943年?)は光をどのように経験するかという問いのもと、
光が鑑賞者を包み込むインスタレーション作品を1960年代半ばから制作してきました。
気候変動に強い関心があるデンマーク出身のオラファー・エリアソン(1967年?)にとっては、
人々が周りの環境とどのように関わるのかは制作における重要なテーマです。
《星くずの素粒子》では、鑑賞者は多面体に反射する光に満たされた空間に身を置くことで、自らの行動がどのように世界に
作用するのかを意識することができるのです。
   
   19」オラファー・エリアソン:《星くずの素粒子》2014年
Photo: Tate, c 2014 Olafur Eliasson
   
   20」ジェームズ・タレル:《レイマー、ブルー》 1969年
2023 James Turrell. Photograph by Florian Holzherr.
   
       
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