★ハルカス:カルヴァッジオ展★    
   ★ハルカス:カルヴァッジオ★
R2年1月の終わりに、前売りの入場券で観覧して来た。
彼の絵画には衝撃を感じるものが多かった。
出品リストに、カルヴァッジオの足跡の簡潔な説明があり
面白かった。
1」ミラノ:生誕の地
2」カラヴァッジョ:ミラノの東約30kmの村
3」ロンバルデイア:ミラノを中心とする北西部の地方
4」ヴェネチア:アドリア海に望む港湾都市:
5」ボローニア:中北部の中心都市:
6」フィレンツエ:ルネッサンス美術の中心都市:
  彼の庇護者となったデル・モンテ枢機卿はメデイチ家に仕え、
  トスカナ大公の外交大使として、ローマに駐在していた。
7」ジェノヴァ:通商・金融業で繁栄した港湾都市:
  1605年に傷害事件を起こし1ヶ月ほど逃亡・滞在。
8」ローマ:16世紀末、教会・都市の再整備・美化が大掛かりに
  進められ、多くの画家が集まった。
9」ロレート:「ロレートの聖母」の作品がある
10」パレストリーナ:ローマ南東の丘陵地帯の小都市:
  名門貴族のコロンナ家の領地。
  1606年に殺人罪で逃亡する際、公爵夫人コンスタンツア・コロンナ
  に助けられたとの事。
11」ナポリ:イタリア南部の最大都市:
  1607−07、1609−10年に滞在。
  ナポリの美術界に大きな影響を与えた。
  1609年10月に刺客に襲われたが、郊外のコロンナ邸宅に
  かくまわれて、翌年そこからローマに向けて最期の旅に出る。
12」ヴァレッタ:マルタ島を本拠とする聖ヨハネ騎士団の首都:
   騎士の称号を求めてマルタに渡り、大聖堂に大作「洗礼者聖ヨハネの斬首」
   を制作。「恩寵の騎士」に任ぜられが傷害事件を起こして再び逃亡する。
13」シラクーサ:シチリア島の古都。マルタから逃れて住む。
   祭壇画「聖ルチアの埋葬」を描く
14」メッシーナ:シチリアの港湾都市:
15」パーロ:ローマ西方約40kmの漁村。
   ローマ貴族の要塞があった。1610年夏、守備隊長に逮捕される。
16」ポルト・エルコレ:ローマの北西約120kmの港湾都市。
  彼の終焉の地となる。
   
   【著名な画家だけに情報も多く、多くのWEBより参照・借用した】
   
   天才画家にしてならず者。38歳で夭逝したカラヴァッジョの作品を堪能できる貴重な展覧会
イタリアが誇る天才画家、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571〜1610)の
展覧会が、「あべのハルカス美術館」(大阪市阿倍野区)で、12月26日からおこなわれる。

彼の作品約10点(帰属作品を含む)に、同時代の画家や追随者の作品を合わせた
計約40点が展示される。
ミラノで生まれ、13歳から画家修業を開始したカラヴァッジョ。
20代でローマに出て、いくつもの宗教画を手がけるなど成功を収める。
しかし、生来の放蕩者だった彼の周囲には暴力沙汰が絶えない。
35歳の時にはついに殺人事件を犯し、実質的な死刑宣告を受けてしまった。

ローマから逃亡した彼は、ナポリ、マルタ島、シチリア島など南イタリアを転々とし、
地元の画家たちに大きな影響を与えた。
そうした追随者を「カラヴァッジェスキ」と呼ぶ。
そして1610年、恩赦を求めてローマに旅立ったが、旅の途中で熱病により没した。
わずか38年の短い生涯だった。

カラヴァッジョ作品の特徴は、光と闇の強烈なコントラストと、圧倒的なリアリズムにある。
先に述べたカラヴァッジェスキはもちろん、西洋絵画全般にも大きな影響を与え、
その名声は現代にも受け継がれている。
日本でカラヴァッジョ作品を見る機会は少なく、本展はきわめて貴重な機会。
今年最後、あるいは2020年最初のアート鑑賞にふさわしい展覧会と言えるだろう。
期間は2020年2月16日まで。
   
   ●『ウィキペディア(Wikipedia)』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B1%E3%83%

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カラヴァッジョはティツィアーノの弟子だった師匠のもと、ミラノで画家の修行を積んだ。その後、
ミラノからローマへと移っているが、当時のローマは大規模な教会や邸宅が

次々と建築されており、それらの建物を装飾する絵画が求められている都市だった。
対抗宗教改革のさなか、
ローマカトリック教会はプロテスタントへの対抗手段の一つとして自分たちの教義を
補強するような
キリスト教美術品を求めるようになる。しかしながら、盛期ルネサンス以降、
およそ1世紀にわたって美術界の主流となっていたマニエリスムは、
もはや時代遅れの様式であると見なされていた。このような状況の中、
カラヴァッジョは1600年に枢機卿に依頼された作品『聖マタイの殉教』と『聖マタイの召命』とを
完成させ、一躍ローマ画壇の寵児となった。極端ともいえる自然主義に貫かれたカラヴァッジョの
絵画には印象的な人体表現と演劇の一場面を髣髴とさせるような、
現在ではテネブリズムとも呼ばれる、強烈な明暗法のキアロスクーロの技法が使用されている。

カラヴァッジョは画家としての生涯で絵画制作の注文不足やパトロンの
欠如などは経験しておらず、金銭面で困ったことはなかった。
しかしながらその暮らしは順風満帆なものではなく、
自宅で暴れて拘置所に送られたことが何回かあり、
ついには当時のローマ教皇から死刑宣告を受けるほどだった。
カラヴァッジョについての記事が書かれた最初の出版物が1604年に
発行されており、1601年から1604年のカラヴァッジョの生活について記されている。
それによるとカラヴァッジョの暮らしは「2週間を絵画制作に費やすと、
その後1か月か2か月のあいだ召使を引きつれて剣を腰に下げながら町を練り歩いた。
舞踏会場や居酒屋を渡り歩いて喧嘩や口論に明け暮れる日々を送っていたため、
カラヴァッジョとうまく付き合うことのできる友人はほとんどいなかったとされている。
1606年には乱闘で若者を殺して懸賞金をかけられたため、ローマを逃げ出している。
さらに1608年にマルタで、1609年にはナポリで乱闘騒ぎを引き起こし、
乱闘相手の待ち伏せにあって重傷を負わされたこともあった。
翌年カラヴァッジョは熱病にかかり、トスカーナ州モンテ・アルジェンターリオで
38歳の若さで死去する。人を殺してしまったことへの許しを得るためにローマへと
向かう旅の途中でのことだった。

存命中のカラヴァッジョはその素行から悪名高く、その作品から評価の高い人物だったが、
その名前と作品はカラヴァッジョの死後まもなく忘れ去られてしまった。
しかし20世紀になってからカラヴァッジョが西洋絵画に果たした大きな役割が
再評価されることになる。それまでのマニエリスムを打ち壊し、
後にバロック絵画として確立する新しい美術様式に与えた影響は非常に大きなものだった。
ルーベンス、ホセ・デ・リベーラ、ベルニーニそしてレンブラントらバロック美術の巨匠の作品は、
直接的、間接的にカラヴァッジョの影響が見受けられる。カラヴァッジョの次世代の画家で、
その影響を強く受けた作品を描いた画家たちのことを「カラヴァジェスティ」
あるいはカラヴァッジョが使用した明暗技法から「テネブリスト」と呼ぶこともある。
現代フランスの詩人ポール・ヴァレリーの秘書をつとめたアンドレ・ベルネ=ジョフロワは
カラヴァッジョのことを「いうまでもなくカラヴァッジョの作品から近現代絵画は始まった」
と評価している。

   
   【作品:番号は展示リストから】    
   「1」ハートフォードの画家/ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(?)
Master of Hartford/Michelangelo Merisi da Caravaggio (?)
花瓶の花、果物および野菜  
1605?06年頃より前 Before c.1605?06
油彩/カンヴァス  Oil on canvas   
ローマ、ボルゲーゼ美術館 
 Ministero per i beni e le attivita culturali-Galleria Borghese, Roma
Vase of Flowers,Fruit and Vegetables :1
   
  「3」ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
Michelangelo Merisi da Caravaggio
リュート弾き
1596?97年頃:c.1596?97
油彩/カンヴァス:Oil on canvas
個人蔵:Lute Player Londra, Collezione private

Suonatore di Liuto":
《リュート弾き》1596年:
油彩/カンヴァス 96×121cm :個人蔵: 本邦初公開!
カラヴァッジョの最初のパトロン、
トスカーナ大公国の枢機卿フランチェスコ・マリア・デル・モンテ(1549-1627)に愛と忠誠とを誓い、
歌を捧げるカストラートを描いています。
   
 
  「5」ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
Michelangelo Merisi da Caravaggio
執筆する聖ヒエロニムス
1605?06年 油彩/カンヴァス:Oil on canvas
ローマ、ボルゲーゼ美術館
Ministero per i beni e le attivita
culturali-Galleria Borghese, Roma
Saint Jerome Writing
   
   「6」ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
Michelangelo Merisi da Caravaggio
悲嘆に暮れるマグダラのマリア
1605?06年 油彩/カンヴァス:Oil on canvas
個人蔵
Mary Magdalene Grieving
Collezione privata
   
 
  「16」
17世紀前半の不詳画家
Anonymous ofthe first half of the 17th century
聖トマスの不信
(カラヴァッジョ作品からの模写)
油彩/カンヴァス:Oil on canvas
フィレンツェ、ウフィツィ美術館
Firenze, Gallerie degli Uffizi,
Incredulity of Saint Thomas
Galleria delle Statue e delle Pitture
(Copy after Caravaggio)
1610頃?66年 c.1610?66
   
   「17」
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
Michelangelo Merisi da Caravaggio
法悦のマグダラのマリア
油彩/カンヴァス:Oil on canvas
個人蔵
Mary Magdalene in Ecstasy
Collezione privata
1606年
   
  「18」ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
Michelangelo Merisi da Caravaggio  
聖アガピトゥスの殉教
油彩/カンヴァス:Oil on canvas
パレストリーナ(ローマ)、司教区博物館
Palestrina (Roma), Museo Diocesano
di Arte Sacra. Direzione Centrale per
l’Amministrazione del Fondo Edifici
di Culto del Ministero dell’Interno
Martyrdom of Saint Agapitus
1606?09年頃
c.1608?10
+++++++++++++++++++++++++
"Decapitazione di Sant'Agapito"
"Martyrdom of Saint Agapitus"
《聖アガピトゥスの殉教》1606-09年
油彩/カンヴァス 116×98cm
パレストリーナ、司教区博物館(ローマ)

274年8月18日、キリスト教の棄教を迫られ、
拒んだアガピトゥスはパレストリーナの町の外で斬首刑により15歳で殉教しました。
聖アガピトゥスはパレストリーナの守護聖人です。
聖人の斬られた首から飛び散る血が二つの口の細いカラフに溜まっています。
首が斬り落とされる瞬間という凄惨な主題に対して、
衣擦れの音がしたであろう肩から滑り落ちるアラベスク模様の
艶のある上質な絹織物が耽美的な印象を残すのです。
   
   「19」ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
Michelangelo Merisi da Caravaggio
聖セバスティアヌス
油彩/カンヴァス:Oil on canvas
個人蔵
Saint Sebastian
Roma, Collezione privata
1606年
   
  「20」ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
Michelangelo Merisi da Caravaggio
歯を抜く人 油彩/カンヴァス 
Oil on canvas
フィレンツェ、
ウフィツィ美術館群パラティーナ美術館
Firenze, Gallerie degli Uffizi,
Galleria Palatina
Toothpuller
1608?10年頃
c.1606?09
   
   「24」
フィリッポ・ヴィターレ
Filippo Vitale
ホロフェルネスの首を斬るユディト
油彩/カンヴァス:Oil on canvas
個人蔵
Judith Beheading Holofernes Collezione privata
24 1635年頃
c.1635

ユディトとホロフェルネス:
ユディトはベツリアの町に住む、裕福な未亡人であった。大変に美しく、神への信仰が厚かった。
ホロフェルネス率いるアッシリア軍がベツリアの町を包囲した。
ユディトは召使とともにはアッシリアの陣地へ行った。
ユディトは取り囲まれているベツリアの町について、もう神の加護のない町であるから、
攻略方法を教えると言って敵将ホロフェルネスに近づいた。
ユディトの美しさに気を許したホロフェルネスは彼女を酒宴に招いた。
ユディトはホロフェルネスが酔いつぶれて寝込んでしまうのを待ち、首を切り落とした。
ユディトはホロフェルネスの首をベツレアの町に持ち帰った。
将軍のいないアッシリア軍はあっさりと敗退した。
   
 
 
  「30」ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
Michelangelo Merisi da Caravaggio
洗礼者聖ヨハネ
油彩/カンヴァス:Oil on canvas
ローマ、ボルゲーゼ美術館
Ministero per i beni e le attivita
culturali-Galleria Borghese, Roma
Saint John the Baptist
1609?10年
++++++++++++++++++
"San Giovanni Battista"
《洗礼者聖ヨハネ》1609-10年頃
油彩/カンヴァス 159×124cm:
ボルゲーゼ美術館(ローマ)
Ministero per i beni e le attivita culturali - Galleria Borghese,Roma
ローマ教皇パウルス五世(在位1605-21年)から恩赦を得るために
教皇の甥にあたるシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿(1577-1633)へ
贈呈しようと逃避行中のナポリでボルゲーゼ枢機卿の好みに合わせて描いた作品です。
カラヴァッジョがローマ教皇から死刑宣告の恩赦を請願しようと
ナポリからローマへ向かった船の荷物の中に保管されていた三点の絵の中の一点です。
(他の二点は《法悦のマグダラのマリア》、《横たわる洗礼者聖ヨハネ》)

聖ヨハネのアトリビュートである切り株は足元にあり、
子羊ではなく聖ヨハネに背を向け葡萄の木に気をとられているのは牡羊、
横木のない十字架の長いアシの杖は人間の罪が贖われていないことを示して
ボルゲーゼ卿にカラヴァッジョ自身の救済を求めているのです。

本作品の本邦初公開は、『ボルゲーゼ美術館展』
2009年10月31日?12月27日:京都国立近代美術館
   
  「32」ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(?)
Michelangelo Merisi da Caravaggio (?)
横たわる洗礼者聖ヨハネ
油彩/カンヴァス:Oil on canvas
個人蔵
Saint John the Baptist Reclining
Collezione private
   
   【その他:紹介ビデオにあったもの:ETC】
   
  「T−1」
"Bacchino Malato"
《病めるバッカス》1593-94年頃 :
油彩/カンヴァス
67×53cm:
ボルゲーゼ美術館(ローマ):札幌会場限りの本邦初公開。
バッカスの聖樹である蔦を冠にして、カラヴァッジョは両手で慈しむように葡萄を抱えています。
カラヴァッジョのローマでの貧しい下積み生活の時代、モデルを雇う金は無く、
病み上がりの自分を鏡に映して描いた自画像であり、
静物画も肖像画も描ける自分自身をローマの美術市場に売り出したのです。
   
  「T−2」
《エマオの晩餐》は、
「エマオの晩餐」とは、イタリアバロック式の画家であるカラバッジョによって、
1601年に描かれた絵画である。
原作はGirolamo Matteiの兄弟であるCiriaco Matteiによって買われ、
現在はロンドンのナショナル・ギャラリーにて展示されている。

「エマオの晩餐」には、蘇ったキリストがエマオという街で、
自らの正体を二人の弟子(ルカとクレオパであるとされている)に明かすシーンが描かれている。
クレオパはジェスチャーをしているかの如く手を広げ、ホタテ貝を身につけ、
他の使徒はやぶれた服を身につけている。
背景や雰囲気は暗く、テーブルには食べ物が、今にも落ちそうな場所に描かれている。
「マルコの福音」において、キリストは復活を遂げた後「違う姿」で現れたと語られている。
+++
『エマオの晩餐』である。これはキリスト復活を主題としている。
普通のキリスト
エマオに向かっていたキリストの弟子二人の前に、一人の男が現れる。
弟子たちは彼を夕食に誘う。その席で男はパンに祝福を与えて、裂く。
その行為で、弟子たちは、男が復活したキリストであることが分かる。
絵は弟子たちの驚きを描いている。
まずはキリストの顔に注目していただきたい。
なんと丸々とした、普通の若者である。ひげもない。
『バッカス』同様、その容貌にまず驚く。
これがキリストか?と最初は思う。
たしかにマタイ伝には「別の姿で」現れたと書いてある。

キリスト復活
キリストは一度天に行き、戻ってきた。十字架の刑は彼の身体に数多くの傷を残した。
しかし、一度天に行って来たのだから、その傷は癒されていなければならない。
このキリストは、傷も癒えて、若返り、なにかとても満足げではないか。
偉そうでもない。自信の中に、謙虚さがあり、好感が持てるのである。

豊かな表現
キリストの左隣りに立っているのは、宿の主人である。
彼の表情はいかにも、本当にキリストか?という感じで、まだ信じられないような、
あっけにとられているような表情である。
弟子たちの表情もいい。一人は右側で大きく手を広げている。
これによって、画面に奥行きが出ている。
十字架の意味も含まれている。左側の胸につけている貝は、巡礼の印である。
果物にも象徴性がある。
ざくろは茨の冠を表し、りんごといちぢくは人間の原罪を表し、葡萄はキリストの血を表している。
果物の籠はテーブルの端に置かれ,今にも落ちそうである。
我々の世界が揺らいでいるのである。

光と影
光と影の絶妙なバランスを見ていただきたい。カラヴァジョが発明したスタイルである。
闇の中から、光を浴びて浮かび上がる人間像は、
劇中のスポットライトのような役目を果たしている。
このスタイルは以後、主流となり、レンブラントなどに受け継がれて行く。
   
 
  「T−3」
《懺悔するマグダラのマリア》は、
画家のミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオによって制作された作品。
制作年は1594年から1595年で、ドーリア・パンフィリ美術館に所蔵されている。

「懺悔するマグダラのマリア」には、
その名の通り、自らの行いを懺悔するマグダラのマリアが描かれている。
ブルネットの髪をしたマリアは、今までの自堕落な生活を振り返って、
自分の行いを深く悔いており、その鼻筋には、涙のが一筋流れている。
   
  T−4」
《ゴリアテの首をもつダビデ》は、
イタリアバロック式の画家であるカラバッジョにより、1607年に描かれた作品である。
現在は、ウィーンにある美術史美術館(Kunsthistorisches Museum Gemaldegalerie)にて
展示されている。

「ゴリアテの首をもつダビデ」には、サムエル記の一節から引用されたシーンが描かれている。
その一節とは「ダビデがペリシテ人を殺して戻ってくると、
アブナーはダビデが殺したであろうペリシテ人の首を持ったままの姿を、サウルに見せた」
という箇所である。
ダビデは、ゴリアテの首をその手に持ったまま、彼の勝利を誇っているところを、
この絵に描かれている。
ボルゲーゼ美術館に展示されているバージョン違いの「ゴリアテの首をもつダビデ」は、
ダビデの正面の視点から描かれており、
まるでサウルのいた場所からこのシーンを見ているかのように、
絵を見る人にむけてゴリアテの首が差し出されている。

「ゴリアテの首をもつダビデ」にもバージョン違いがあるように、
カラバッジョは絵を完成させた後も、対象を違う視点でとらえ、
新しい形を良く探っていた(また、それはいくつものバージョン違いが存在する、
カラバッジョの他の作品である「洗礼者ヨハネ」にも表れている)。

二つの「ゴリアテの首をもつダビデ」を比べたとき、ウィーンに存在する方が、
より暗いムードに包まれており、ダビデは勝ち誇っているように見える。
それに対して、ボルゲーゼ美術館に展示されている方には、
内向的に哀愁が漂う姿のダビデが描かれている。
ゴリアテの顔については、カラバッジョの自画像ではないかと考えられているが、
ボルゲーゼ美術館に展示されている方が、より一般的な顔をしているように見える。
   
 
  
  「T−5」
David and Goliath:
Caravaggio : Date: c.1599
Style: Baroque
Genre: religious painting
Media: oil, canvas
Location: Museo del Prado, Madrid, Spain
Dimensions:110 x 91 cm
++++++++++++++
ダビデとゴリアテ:
イスラエルの最初の王。ダビデはユダヤ人の家系、羊飼いであった。
預言者サムエルは、主に選ばれし者の印にダビデに香油を塗った。
その時の王はサウルであったが、主の恵みを断たれ、心が乱れ、悪霊に苦しめられていた。
王サウルの心を慰めるために竪琴の名手ダビデが雇われた。
そのころイスラエルとペリシテの間で戦いが始まった。ペリシテ軍にはゴリアテという巨人がいた。
ダビデはサウル王にゴリアテと戦わせて欲しいと願い出た。
ダビデは投石袋から小石を取り出し、石投げ紐で石を飛ばした。
小石は巨人ゴリアテの額にのめりこみ、ゴリアテは倒れた。
   
  「T−6」
Calling of Saint Matthew:
Caravaggio
Date: c.1600 :Style: Baroque
Genre: religious painting
Media: oil, canvas
Location: San Luigi dei Francesi, Rome, Italy
+++++++++
反宗教改革時代に最も好まれた主題が「改宗」であった。
この絵も、マタイが改宗してイエスに従っていくという聖書の場面を描いている。
イエスが収税所にいた徴税人マタイに向かって、「わたしにしたがいなさい」と言うと、
マタイは立ち上がって従った。これが、聖マタイの召命である。
いきなりである。イエスはマタイに対しては奇跡など行っていない。
それなのに、マタイは立ち上がり、イエスに従うのである。
マタイが立ち上がったことじたいが、奇跡ともいえる。
カラヴァッジョが描いた、この礼拝堂の絵を見てみよう。
右側に立って、腕を伸ばしている男がイエスである。
イエスの指先は、ミケランジェロの『アダムの創造』が神に向かって伸ばしている指先と同じである。
テーブルに座っている人々の内、右の三人は、
キリストとペテロがやってきたのに気づき、顔を上げている。
左の二人は、顔も上げずにテーブルの上の金貨を見ている。
イエスが声をかけたマタイはいったいどの人物であろうか。
従来の解釈では、テーブルに座っている五人の男たちの中で、
中央にいる、髭をはやした男ではないかと考えられていた。
髭の男は自分の胸を指して、「私のことでしょうか」と言っているようでもあるからである。
しかし、よく見ると、一番左側でうつむいている男を指して、
「この男でしょうか」と言っているようでもある。
聖書では、イエスはいきなりマタイに声をかけている。
マタイは何の躊躇もなく立ち上がり、イエスに従うのである。
そうとあれば、イエスに向かって「私でしょうか」と問う間もないはずである。
左でうつむいている男が、次の瞬間立ち上がり、イエスについていったのではないだろうか。

カラヴァッジョは、ドラマのクライマックスを描いたのではない。
その直前を描いたということになる。
実際、この礼拝堂に入って絵を見ると、この絵は決して正面から見られることはない。
絵は左奥へと見るように置かれているので、
一番左のうずくまっている男の姿が大きく見えるのである。
そうやって見ると、左のうつむいている男が、主人公のマタイではないか、という説が有効に思える。
左のうつむいている男はまだ改宗していない。彼はイエスを見ていない。しかし、声は聞こえている。
男は内面ではすでに、すみやかに、静かに改宗が行われたのである。
次の瞬間、彼は立ち上がるのである。
改宗とは、外見の変化ではない。内面的なものである。
カラヴァッジョは、男に起った内面の変化を描いたのである。
   
  「T−7」
Madonna of Loreto
Caravaggio
Date: c.1604
Style: Baroque
Genre: religious painting
Media: oil, canvas
Location: Basilica of Sant'Agostino, Rome, Italy
Dimensions:260 x 150 cm

The Madonna of Loretto or Pilgrim's Madonna is a
famous painting (1604?1606) by the Italian Baroque master Caravaggio,
located in the Cavalletti Chapel of the church of Sant'Agostino,
near the Piazza Navona in Rome. It depicts the apparition
of the barefoot Virgin and naked child to two peasants on a pilgrimage;
or as some say it is the quickening of the iconic statue of the Virgin.

In 1603 the heirs of marquis Ermete Cavalletti, who had died on 21 July 1602,
commissioned for the decoration of a family chapel a painting
on the theme of the Madonna of Loreto.
Putting into practice the marquis's will,
the Cavaletti's on 4 September 1603 purchased a chapel
in the church of Sant'Agostino in Rome.
   
  「T−8」
Madonna of the Rosary (Madonna del Rosario)
Caravaggio
Date: 1607
Style: Baroque
Genre: religious painting
Media: oil, canvas
Location: Kunsthistorisches Museum, Vienna, Austria
Dimensions:364.5 x 249.5 cm

The Madonna of the Rosary is a painting finished in 1607
by the Italian Baroque painter Caravaggio,
now in the Kunsthistorisches Museum in Vienna.
It is the only painting by Caravaggio that could be called
a standard Baroque altarpiece.

The commissioner of the work is uncertain.
As altarpiece it would have been commissioned for a Dominican church,
given the presence of Saint Dominic and Saint Peter Martyr of Verona.
The donor is included in the painting; at the left,
dressed in black with a ruff, seeking protection under the cloak
of Saint Dominic and peering out at the viewer.

According to some, the donor was Nicholas (or Nicholas) Radulovic,
a rich merchant of Ragusa (now Dubrovnik in Croatia)
and the first idea for the composition was a Madonna Enthroned
with Saints Nicholas and Vito, then the subject was changed
to reflect the wishes of the Dominicans. According to others,
and perhaps more likely, it was made to decorate the family chapel
in the Neapolitan church of San Domenico Maggiore, commissioned
by Luigi Carafa-Colonna, relative of Martino Colonna,
Overlord of Palestrina, Zagarolo and Paliano, where the painter
had taken refuge after escaping from Rome.
The large column to the left may be a reference to the Colonna family;
it is linked to the big red drape that dominates the scene almost like a sail.
The Feast of the Rosary was established in 1571 after the Battle of Lepanto,
and Luigi Carafa-Colonna was a relative of Marcantonio Colonna,
a leading admiral in the battle. Another possibility is Cesare d'Este, Duke of Modena.

The Madonna is seated on a throne, and seems to give assent
with a wave of the hand to Saint Dominic who is dressed
in his usual habit and holding a rosary. The faithful turn to him for grace,
kneeling, with a donor portrait at far left, of a man in black with a ruff.
On the right is St Peter Martyr with a large scar
on his forehead (just like Caravaggio who was wounded
in the head a few months earlier in the scuffle
with Ranuccio Tommasoni and still had a visible scar),
which indicates the Virgin who is out of the picture.
Behind him are other Dominicans.

The painting was likely done between the 8th of January and mid-July 1607,
that is between the completion of the Seven Works of Mercy
and the departure of painter for Malta. Something must have gone wrong
with the original commission as the painting was very soon
on the market and bought by a Flemish consortium that included Rubens.
After being offered to Vincenzo I Gonzaga, Duke of Mantua,
it was taken to Antwerp and offered to the Dominican church there.
It is first mentioned in a letter by Frans Pourbus the Younger,
a painter at the court of Mantua. On 15 September 1607 he wrote
to his employer, Vincenzo I Gonzaga, the Duke of Mantua,
that the painting was on the market in Naples for 400 ducats.
   
  「T−10」
The Crowning with Thorns
c. 1605
Oil on canvas, 178 x 125 cm
Banca Popolare di Vicenza, Vicenza
   
      
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