マティスとルオー
−友情50年の物語−
   
    ★マティスとルオー★
−友情50年の物語−:ハルカス

【1】ハルカス・・・で開催された 


        
【2】マティスとルオー:WIKIPEDIA
【3】解説・・・下記BLOGより借用
【4】展示会・・・「絵画」・・・WEBの情報を借用
【5】参考:BLOG:
【感想】
今までの印象では・・・
 マテイス・・・エルミタージュで見たような平面的なコントラストのある画像・・・
        と思っていた。
 ルオー・・・キリスト像やピエロの像の様に太い黒の輪郭線が特徴の画家・・・
       と思っていた。
 誰にでも歴史があるように彼らにも歴史があり、表現方法に変遷がある。
 今までに見た彼らの絵画は極一時期のものであった。
 当たり前の事だが・・・
 1枚の絵画を見た時にどれだけ深く観賞出来るか??
 知識が足らない・・・永遠の課題・・・・!!!
***********************
【1】マティスとルオー
−友情50年の物語−


【2】WIKIPEDIA

 マテイス:
   
アンリ・マティス(Henri Matisse, 1869年12月31日 - 1954年11月3日)は、フランスの画家。
フォーヴィスム(野獣派)のリーダ−的存在であり、野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する
芸術家の一人として活動を続けた。
自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家であった。
彫刻および版画も手がけている。

【プロフィル】アンリ・マティス
 Henri Matisse 1869年、フランス北部ル・カトー=カンブレジ生まれ。
父は穀物卸売商人。法律を学ぶが画家を目指して92年に国立美術学校へ。
1905年のサロン・ドートンヌで「フォーヴ」の旗手の役割を果たした。
20年代以降は南仏に拠点を移し、色や線の単純化、平面的な構成を追求。
「ジャズ」シリーズなどの切り絵作品に到達したほか、最晩年に南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂を手掛けた。
54年没。
*********************
 ルオー:

ルオーは、パリの美術学校でマティスらと同期だったこともあり、
フォーヴィスムの画家に分類されることが多いが、ルオー本人は「画壇」や「流派」とは一線を画し、
ひたすら自己の芸術を追求した孤高の画家であった。

【プロフィル】ジョルジュ・ルオー
 Georges Rouault 1871年、パリの家具装飾職人の家に生まれる。
ステンドグラス職人に弟子入りするが、1890年に国立美術学校に入る。
晩年は「聖顔」などキリスト像や聖なる風景を描き、宗教的画題を極めた。1958年没。
***************************
【3】解説:

 http://www.sankei.com/life/news/170122/lif1701220026-n1.html

色と形の探求に生涯を捧げたアンリ・マティスと、20世紀最大の宗教画家といわれるジョルジュ・ルオー。
フランス近代絵画の巨匠2人の作風は大きく異なるが、ともにパリの国立美術学校で象徴主義の画家、
ギュスターヴ・モローに学んだ同窓生。互いの創造性を認め合い、敬っていたことは、
半世紀にわたり2人が折々に交わした手紙からうかがい知ることができる。
厚い友情の軌跡を、初公開を含む絵画や直筆書簡など140点でたどる
「マティスとルオー展−手紙が明かす二人の秘密−」が、開かれた。

 まず、モロー教室時代の若き2人のデッサンや油彩画が新鮮だ。
ルオーはまじめな画学生だったのだろう、
男性裸体画や宗教画の習作は巧みな描写力と師譲りの神秘性を感じさせるが、
後の骨太で濃密な絵画表現にはほど遠い。
マティスの「スヒーダムの瓶のある静物」も、厳格な構成と明暗表現による古典的な静物画。
しかし彼は早い段階で、旅などを通して光や色彩に目覚めてゆく。

***********************
ルオーは都市の底辺で生きる人々をありのまま、黒い輪郭線で力強く描いた。
そして既存のサロンに対抗し1903年、マティスらと「サロン・ドートンヌ」を創設。
そこから「フォーヴ(野獣派)」が生まれた。

若い頃の手紙には共感とライバルならではの緊張感が交錯するが、第二次大戦中、
特にナチス占領期には乏しい画材を融通したりと互いに励まし合っているのがわかる。

 戦時下、美しい芸術誌『ヴェルヴ』に、2人は絵画を寄せた。
マティスはこれぞフランスの美とばかり、豊かな色彩で堂々たる女性を表現した「ラ・フランス」を、
ルオーは誇り高き救国の少女を描いた「聖ジャンヌ・ダルク」を。
会場では「ラ・フランス」の貴重な原画とともに、ヴェルヴに掲載されたものとは別作品の
「聖ジャンヌ・ダルク」を公開。
また、テリアードが手掛けたルオーの詩画集『気晴らし』の原画である油彩全15点も今回、
世界で初めて一挙展示されており見逃せない。
***********************
戦後、ルオーはステンドグラスを思わせる多彩で重厚な画面で、
人間存在のかなしみや崇高な宗教世界を描いたが、
マティスもまた、南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂の設計・装飾を手掛け、
明快な色と形による祈りの空間を作り上げた。
51年、ルオーは新聞か雑誌の切り抜きで完成した礼拝堂を見て、
旧友の集大成というべき仕事をわが事のように喜んだ。

■家族ぐるみの交流
 2013年にスイスで刊行された往復書簡集が、
このほど『マティスとルオー 友情の手紙』(ジャクリーヌ・マンク編、後藤新治他訳)
としてみすず書房から刊行された。
現在確認されている2人の手紙は1906〜07年のやりとりに始まり一度途絶えるが、
30年代に再開し、マティスが亡くなる前年の53年まで続く。
互いの配偶者や子供も巻き込み、家族ぐるみの交流になっている。

 年をとるにつれ、画家同士の話題が主に病気のこと、恩師や学友の思い出に移ってゆくのが面白い。
展覧会ではマティスからルオーへの直筆手紙2点に加え、ルオーの手紙の複製も展示されているが、
余白なくびっしり文字を書き込んでいるのが彼らしい。

53年、病床で旧友と最後の面会を終えたマティスは、こう感謝を伝えた。
〈君の訪問が僕にとってどれほどありがたかったか(中略)若かりし頃の様々な瞬間に舞い戻った心地だった。
おそらく、もうこのように思い出が蘇る機会は二度とやってこないだろう〉
                   
【4】出品リストから:絵画:
第1章 国立美術学校からサロン・ドートンヌへ[1892年〜1913年]
    短い平和をはさんで2つの世界大戦が起こる激動の時代、
パリで活動するルオーと南仏ニースに拠点を移すマティス、
そこに ニューヨークで画商としてルオー作品を扱うマティスの子息ピエールが加わり、
次の世代にも広がっていく交流を追います。

【借用したHP】

 1」スヒーダムの瓶のある静物 
     マティス美術館、ル・カトー=カンプレジ 





 5」ジョルジュ・ルオー :   ゲッセマニ
       パナソニック汐留ミュージアム : 油彩/カンヴァス:41×33.3: 1892年







 9」 ジョルジュ・ルオー:  人物のいる風景:
  パナソニック汐留ミュージアム: 木炭、パステル/紙(紙とカンヴァスで裏打ち)
          80×120 :   1897年





 10」 ジョルジュ・ルオー:  パリ(セーヌ川)
     パナソニック汐留ミュージアム: 水彩、パステル/紙(紙とカンヴァスで裏打ち)
           16.5×28:   1901年



★第2章 パリ・ニース・ニューヨーク 1914年-1944年
    短い平和をはさんで2つの世界大戦が起こる激動の時代、
   パリで活動するルオーと南仏ニースに拠点を移すマティス、
   そこに ニューヨークで画商としてルオー作品を扱うマティスの子息ピエールが加わり、
   次の世代にも広がっていく交流を追います。

26」  肘掛椅子の裸婦          DIC川村記念美術館      







27」 アンリ・マティス  :  窓辺の女                
            みぞえ画廊:  油彩/カンヴァス: 74×59.2 :  1920年









32」アシリ・マティス: 室内:二人の音楽家
            ポーラ美術館:  油彩/カンヴァス:  61.3×73.2: 1923年








34」  アンリ・マティス : 鏡の前の青いドレス                  
            京都国立近代美術館: 油彩/カンヴァス: 64×49:  1937年







39」  ジョルジュ・ルオー:  ブルターニュの風景 
           パナソニック汐留ミュージアム: 精油で溶いた油彩/紙(板で裏打ち)
           43×73 :  1915年




42」 ジョルジュ・ルオー:    曲馬団の娘たち     
           東屋博古館分舘: 油彩 :      61×50:  1924−25年






43」 ジョルジュ・ルオー:  花蘇芳の側にいる水浴の女たち          
           パナソニック汐留ミュージアム  油彩/紙(カンヴァスで裏打ち)
           40.4×62.6:  1925−29年








44」 ジョルジュ・ルオー:  女曲馬師(人形の顔)             
           パナソニック汐留ミュージアム: 油彩/紙(カンヴァスで裏打ち)
            68.3×48.8:  1925年頃








45 」 ジョルジュ・ルオー:     窓辺の静物                
           個人蔵(ルオー財団協力):  油彩、クワッシュ:104×74:  1930年頃







47」 ジョルジュ・ルオー:    道化師                                
            パナソニック汐留ミュージアム: 油彩/紙(カンヴァスで裏打ち)
            48.2×43.4:  1937−38年


 


48」 ジョルジュ・ルオー:   裁判官たち                  
           パナソニック汐留ミュージアム: 油彩/紙(カンヴァスで裏打ち)
           50×72:  1938−39年



第3章 出版人テリアードと占領期

二人の画業のうち、気骨の出版人テリアードとの協働作業は見過ごせません。
ナチスによるパリ占領期に彼が発行した芸術誌『ヴェルヴ』をはじめとする本作りの仕事は、
油彩画を自由に発表することが難しかったマティスとルオーにとって、
唯一の「気晴らし」となりました。二人が作品に込めた祖国への愛を探ります。


93」 ジョルジュ・ルオー: 聖ジャンヌ・ダルクー古い町外れ        
        個人載(ルオー財団協力): 油彩/カンヴァスに貼った紙: 30×24: 1951年






第4章 「ジャズ」と<聖顔> 1945年-1956年

色彩と形態の研究を進めるマティスのエポックメイキングな作品集『ジャズ』。
一方ルオーは《聖顔》など宗教的な画題を極めていきます。
資質の異なる友人の仕事を尊敬しあった二人の豊かな実りをご覧いただきます。

117」  アンリ・マティス: ピエロの葬送『ジャズ』より            
           宇都宮美術館: ポショワール/紙:  41.3×65:  1947年




132」 ジョルジュ・ルオー :  秋の夜景      
              パナソニック汐留ミュージアム: 油彩/紙(カンヴァスで裏打ち)
              75×100:  1952年





133」 ジョルジュ・ルオー:  マドレーヌ         
              パナソニック汐留ミュージアム: 油彩/紙(カンヴァスで裏打ち)
              49.2×34.3:  1956年







【5】参考BLOG

かなり詳しい説明がある。
パナソニック汐留ミュージアムでの展示会。

https://ameblo.jp/tonton3ab/entry-12243532223.html


パナソニック汐留ミュージアム
http://blog.imalive7799.com/entry/Matisse-and-Rouault-201701

   
       
       
inserted by FC2 system