★大徳寺:千住博★    
   ★大徳寺:千住博★
・千住博画伯筆 障壁画『滝』
これを見たくて、大徳寺のHPを見ると、すべて予約制になっていた。
昨年H28の年末に申し込みを済ませて、今年の1月に出かけた。
私の目的は千住博だが今回は大徳寺の
創建450年記念特別公開
 公開中 2017326日の一部になっている。
メインは「狩野永徳筆 国宝障壁画」

「大徳寺」

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「大徳寺聚光院」

http://kyotoshunju.com/?temple=daitokuji-jukoin

利休の菩提寺にして、日本画の最高峰・狩野永徳の障壁画を有する大徳寺聚光院。
2016年に創建450年を迎えるこの聚光院が3月から1年間、特別公開をいたします。
 京都国立博物館に寄託していた狩野永徳とその父、松栄による本堂障壁画46
(全て国宝)が9年ぶりに里帰りし、ここ聚光院で一挙公開。
また、2013年の書院落慶に合わせ奉納された、現代日本画のトップランナー、
千住博画伯の障壁画『滝』が一般初公開されるほか、
表千家7代如心斎が千利休150回忌に寄進したとされる
茶室「閑隠席」(重文)などが公開されます。
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・本堂(重文)

・狩野永徳筆『花鳥図』『琴棋書画図』(共に国宝)
・狩野松栄筆『蓮池藻魚図』『瀟湘八景図』『竹虎遊猿図』(共に国宝)
・方丈(本堂)庭園「百積の庭」(名勝)

・茶室「閑隠席」「枡床席」(共に重文)
・千住博画伯筆 障壁画『滝』
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【訪問記録】
今朝も目覚ましで起きた。すこし早かったが出発して大正解だった。
というのも大徳寺に到着後境内をほぼ全域を歩く時間があった。

行きのバスは「大徳寺」と聞こえたので飛び乗ったが
北大路堀川から北に上る路線だった。
「下鳥田町」で下車して歩いた。
路線図をコピーして持参していたので方向は確認できた。
総門から入り「三門」「聚光院」の前を通り
龍翔寺・・・高桐院・・・玉林院・・・
龍光院・・・大光院・・・から北大路通りに出て再度
南門から聚光院に戻った。
丁度良い時間になり、受付の後・・・
グループで内部の説明を受けた。

【千住博の滝】

http://www.hiroshisenju.com/exhibitions/daitokuji-jukoin


2013
年に落慶した書院に奉納された障壁画。
千住博さんは「時の流れを象徴するモチーフ」として鮮やかな青に白い滝を描いた。

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【感想】

2013
年の書院落慶に奉納された作品。
書院の障子を開けて入室した時の・・・
感激・・・
大広間・・・と思っていたが実は二部屋に別れている。
最初の部屋は群青をベースに
牡蠣の貝殻の胡粉で描かれた「滝」
奥の第ニ室は逆に白をベースにした青の世界。
説明では第1室は男性の席で着物が黒を基調にするので
それが映える様に・・・

奥の部屋は女性が座る席なので
華やかな着物の色が映える様に
白を基調にして描かれているとの事。
第1室では「滝」の流れ落ちる感触を味わえる。
第2室では自分が滝の真ん中にいるような感覚になる。
第1室では「滝」を見る、鑑賞者・・・
第2室では「滝」の中にいる、自分・・・・
そんな事を感じながらしばらくの時間を過ごした。
充分に千住博を堪能した。
ただ襖絵なので「滝」の高さを感じることが出来ないのが
残念と言えば残念。     
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【千住博】
千住 博(せんじゅ ひろし、195817 -
代表作のウォーターフォールは
1995年ヴェネツィア・ビエンナーレで名誉賞を受賞。
1997年より大徳寺聚光院の襖絵制作にとりかかり、
2002年の伊東別院完成に引き続き、
2013年に京都本院の襖絵が完成した。
2015年末、高野山真言宗総本山金剛峯寺の
主殿
2部屋の襖絵の制作を手がけることが決定した。
弟は作曲家の千住明、
妹はヴァイオリニストの千住真理子、

父は工学博士の千住鎮雄、
母は教育評論家でエッセイストの千住文子。

現在東京藝術学舎学舎長。ニューヨーク在住。
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【特別公開の本命】

「大徳寺 聚光院」
 創建450年記念特別公開
201631日~2017326

天才・狩野永徳・・・聚光院特別公開
大徳寺の「聚光院」は、千利休の菩提寺として、また狩野永徳が父・松栄と
ともに描いた障壁画によって、茶人や美術愛好家の憧れを集めている名刹です。
 「聚光院」は永禄91566)年、三好義継が父・長慶の菩提を弔うため、
大徳寺第107世住職・笑嶺宗訢和尚を開祖として創建されました。






写真/「聚光院」本堂       




今回の最大の目玉が、
狩野永徳が父の松栄とともに手がけた
障壁画
46面の実物が公開されること。


写真/「聚光院」本堂室中には狩野永徳が
24歳のころに手がけたとされる『花鳥図」が。








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【狩野永徳】
日本美術のスーパースター・狩野永徳!
 桃山時代から江戸時代にかけて、「狩野派」という絵師の派閥がありました。
その初代は室町時代に活躍した狩野正信で、元信、松栄へと親から子へ派閥は受け継がれた。

 永徳は天文121543)年に生まれた松栄の子。
やがて、障壁画などの大画面にダイナミックな構図で絢爛豪華かつ勇壮な
絵を描くことにおいて右に出るもののない絵師となった。

永徳の絵は、織田信長、豊臣秀吉に大いに喜ばれます。
安土城や聚楽第、大坂城の障壁画をことごとく担当した。
まさに一世を風靡する勢いでした。
しかし、天正18年(1590)年、東福寺法堂(はっとう)の天井画『龍図』の制作中に
病に倒れた永徳は、満47歳で息を引き取った。

若き永徳と父・松栄の美の結晶「聚光院」国宝障壁画46面!
そんな永徳が父・松栄とともに手がけた障壁画が残されているのが「聚光院」です。
本堂内46面の襖絵はすべて国宝! 
中でも『花鳥図』と『琴棋書画図』は永徳
24歳のころの作とされ、
その腕はまさに天才的。
現存作品が少ない永徳の絵が、
これほどたくさん残されているのも「聚光院」のほかにありません。

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檀那の間に描かれた永徳の『琴棋書画図』。
躍動感に溢れたダイナミックな筆使いだが、
琴や書などをたしなむ賢人たちの表情や
しぐさは細やかに描かれている。






永徳の父・狩野松栄が描いた『瀟湘八景図』。










同じく松栄の『竹虎遊猿図』。
永徳にくらべるとその画風は繊細で優しい。




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大徳寺の文化財
大徳寺・見どころ

http://kyototravel.info/%E5%A4%A7%E5%BE%B3%E5%
AF%BA%E8%A6%8B%E3%81%A9%E3%81%93%E3%82%8D

【山門(三門)(重要文化財)】
長谷川等伯・・・天井画・・・龍・・・
を見たかったが通常は非公開だった。
この建物は利休と秀吉との逸話で有名だ。
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二層の山門。連歌師・宗長の寄進で享禄2年(1529年)にまず下層のみが竣工し、
天正
17年(1589年)、千利休が上層を完成させて「金毛閣」と名づけられた。
利休の恩に報いるために寺は上層に雪駄を履いた利休の木像を安置したが、
このため門を通る者は利休の足下をくぐることになり、
これが豊臣秀吉の怒りを買って利休切腹の一因となったと伝わる。
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1589年、利休は等伯の力を見込んで、ある依頼をします。
それは、京都の名刹・大徳寺に利休が寄進する「金毛閣」
の天井と柱の装飾画を描かせることでした。
大徳寺という絵師にとっての大きな桧舞台で、
狩野派を押しのけて一介の絵師が絵を描いた。
 このことは紛れもなく、京都に「長谷川等伯」
という名が知れ渡る第一歩となったことでしょう。
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★大徳寺三門と芳春院の残り紅葉

http://ameblo.jp/kyo-bonbon/entry-12227638984.html

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【塔頭・たっちゅう】
数々の塔頭があるが・・・
【芳春院】

ここは訪問しなかったが心に残る。
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慶長13年(1608年)に玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)を開祖として
加賀百万石の祖・前田利家の夫人・松子(まつ、芳春院)が建立。
法号をとって芳春院と名付け、前田家の菩提寺とした。
寛政
8年(1796年)の火災により創建当時の建物が焼失するが、
二年後に前田家十一代の前田治脩によって再興された

明治期には廃仏毀釈の嵐の中で荒廃するが、
明治
8年(1875年)になってようやく復興される。
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【黄梅院】
織田信長、豊臣秀吉、千利休…戦国ゆかりの寺
大徳寺 黄梅院
特別公開:2017325日~57
千利休作庭「直中庭」を持ち、美しい苔とモミジが訪れる拝観者の目を楽しませる。
織田信長、豊臣秀吉など戦国大名ゆかりの寺院、
大徳寺黄梅院が公開されます。

 毛利元就の三男で豊臣秀吉政権の五大老をも務めた小早川隆景の寄進による、
禅宗寺院において現存最古の庫裡や、加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰ったとされる釣鐘、
また狩野永徳や長谷川等伯と並ぶ桃山時代の日本画家、
雲谷等顔の障壁画(複製)などが公開されます。

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【真珠庵】
一休禅師開祖 長谷川等伯筆 方丈障壁画
大徳寺 真珠庵
沿革

臨済宗大徳寺派大本山、大徳寺の塔頭寺院。永享年間(1429-1441)に、
大徳寺を復興した一休宗純を開祖として創建。
応仁の乱により焼失するが、延徳
3年(1491)に堺の豪商、
尾和宗臨によって再興された。

 方丈(重文)には桃山時代の代表的絵師、長谷川等伯と、
一休禅師に参禅し、
また奇想の画家として知られる曽我蛇足による障壁画(全て重文)が納められている。

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【興臨院】

加賀前田家ゆかりの寺院
大徳寺 興臨院
特別公開:2017318日~611
室町期の建築様式の特徴を見せる本堂(重要文化財)や
唐門を持つ大徳寺興臨院。
その後、豊臣政権の五大老を務めた前田利家が本堂屋根を修復、
また菩提寺とするなど前田家とも非常に縁の深い寺院です。

 優美で安定感のある姿が静寂と落ち着きを感じさせる本堂や、
「昭和の小堀遠州」とも言われた作庭家、
中根金作が復元した方丈庭園を持つこの寺院が特別公開を迎えます。

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【総見院】

織田信長 菩提寺
大徳寺 総見院
特別公開:2017325日~528日(土・日・祝日のみ)
羽柴(後の豊臣)秀吉が、本能寺の変に倒れた織田信長の追善菩提のために建立した、
大徳寺総見院。
信長亡き後の政権争いの中、秀吉がその主導権を握るための建立した、
歴史的に大変重要な寺院が公開されます。

 



















































   
   
   













   
   
   
   
























































   
   











 
   ★千住博・他の作品    
       
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