★中央ヨーロッパ周遊:H16年9月: | |||
海外旅行の記録を整理しているがこれが最後になる。 丁度10年前なので殆ど記憶が消えている。 主な観光地をWEBで検索して自分の記憶、写真などを見ながら羅列した。 |
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第1日 9月21日 |
【 行程】 |
★第1日: |
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【メモ】 | ★第1日: いつものことだが予定より早く、自宅を出た。 関空で約1時間の余裕。朝食のサンドウイッチとコーヒーの後、 4Fの団体受付で書類を受け取る。 € への交換を忘れて、本館の南ウイングまで戻った。 すこし慌ててモノレールで往復したのを思い出す。 関空発 10:30 スキポール空港まで11時間:時差7Hr 途中で疲れたので、「釣りバカ日誌」を見たら楽になった。 AMST→BERLIN夕方両所で小雨。 西ベルリン、テーベル空港(TEGEL)着。 バスで移動・・・ソニービルの偉容に驚いた 自動車の輸入関税が100%でカローラ=300万円もするそうだ。 夜の独立記念塔、TVタワー、ビル街、を通って約30分でHTL。 HOTEL HOPPEN GARTEN BERLIN 現地時間 pm8:25 |
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第2日 9月22日 |
【行程】 |
★第2日: |
第2日 アルバム |
【メモ】 | ★第2日: 早朝の散歩に出かけた。 地元の学校に出くわした。 (ホテルの窓を開けると直ぐ下にも学校があった) 小・中・高が同じ学校の様。 登校には徒歩や自転車、車で送り等いろいろ。 周辺は石畳、田舎風の家々がありそれぞれ広いスペース。 ホテルに戻り朝食・・・アメリカンで豊富、朝食の写真を撮るのを忘れた。 |
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【記録】 | 9:04出発 三国同盟、ROME、BELLIN、TOKYO・・・ の頭文字を取って、当時はROBERTOの名前の子供が多かった。 ベルリンの人口=350万人 昔のポツダム広場POTZDAMER PLATZ・・が再開発されて、 5年前にダイムラーCITY やSONYCENTER に生まれ変わった。 http://www.arch-hiroshima.net/a-map/germany/potsdamerplatz.html ソニーは4年前にヨーロッパ本部をイギリスからここに移動した。 |
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【観光地】 | ★第2日 :ベルリン :観光: *ベルリンの壁 ベルリンの壁(ベルリンのかべ ドイツ語: Berliner Mauer)とは、 冷戦の真っ只中にあった1961年8月13日にドイツ民主共和国(東ドイツ) 政府によって建設された、西ベルリンを包囲する壁である。 1989年11月10日に破壊され、 1990年10月3日に東西ドイツが統一されるまで、 この壁がドイツ分断や冷戦の象徴となった。
*ペルガモン博物館: |
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第3日 9月23日 |
【行程】 | ★第3日: ドレスデン観光: *ツヴィンガー宮殿 *ゼンパーオペラ *劇場 広場 →約150km *プラハ ホテル:ムーヴェンピック |
第3日 アルバム |
【メモ】 | 第3日: 朝ホテルの右手方向に散歩:通勤の車列や黄色い電車などを見る。 ツインガーGyallerry: フェルメール・・・手紙を読む女 チチアーノ ・・・VENUS:寝姿 などを急ぎ足で鑑賞した。 pm1:30 ドレスデン発 1コルナ≒4円 (チェッコの通貨) チェコの生活水準≒1/4対日本 月収: チェコ≒ 7万円 日本≒ 28万円 ドイツ≒ 21万円 国境:プラハの雪解け:春 検問の様子も随分変わった TrapFamily・・・・を思い出す。 HOTEL:MOVENPICK PRAGNA 立派なホテル pm10時 就寝 |
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【観光地】 | 第3日:ドレスデン観光: ドレスデン: ドレスデンは、12世紀以来ザクセン選帝侯の宮廷都市 として栄えたエルベ川沿いの町で、 豊かな歴史的遺産と美しい景観の町です。 「エルベの真珠」と讃えられています。 *ツヴィンガー宮殿: *東洋陶器の収集: *ツヴィンガー宮殿 (ツヴィンガーきゅうでん、独: Zwinger)は、 ドイツ、ザクセン州の州都ドレスデンにある バロック様式の宮殿で、 中庭に庭園を有する。 現在は、ドレスデン美術館の重要な構成要素である アルテ・マイスター絵画館等として利用されている。 19世紀に入ると、宮殿を補修し、選帝侯が収集してきた美術品収集の場 として利用するための整備が行われる。また、 1869年に火災で焼失した宮廷歌劇場の再建が、 ゴットフリート・ゼンパーに依頼され、 ゼンパー・オーパーが建設されている。 その後もツヴィンガーの建築群を維持するための作業が続けられたが、 第二次世界大戦におけるドレスデン爆撃で、 ツヴィンガーの建築群は大きな被害を受けた。 戦後、損害が調査され、補修が開始されて、 1951年には中庭が利用に供されている。 その後も補修が継続され、次第に公開部分が拡大され、 1963年にはほぼ戦前の姿を取り戻したが、 ゾフィー教会は1962年に取り壊されている。 2002年には、エルベの水害により、再び甚大な被害を受けている。 *ゼンパー・オーパー ゼンパー・オーパー(Semper Oper)は、 ドイツ・ザクセン州の 州都ドレスデンにある州立歌劇場の愛称。 東ドイツ時代は国立の歌劇場で ドレスデン国立歌劇場と呼ばれたが、 現在はザクセン州立である (旧称で呼ばれることも多い)。 専属の管弦楽団は、 シュターツカペレ・ドレスデンの名で コンサートや単独録音も行い、 非常に人気が高い。 *フラウエン教会: 聖母教会(せいぼきょうかい、 Dresdner Frauenkirche)は、 ドイツ東南部ザクセン州のドレスデンに ある福音主義のキリスト教会である。 この教会はドイツ福音主義教会を 構成するザクセン福音ルター派州教会に 属している。 教会の建物は第二次世界大戦中の ドレスデン爆撃を乗り切ったものの、 完全に焼損し爆撃の翌日崩壊した。 現在はかつての敵同士の和解を象徴する 建築物として再建された。外部の復元は2004年に、 屋内は再建の開始より13年後の2005年に完了し、 教会は2005年10月30日からプロテスタントの 感謝祭である10月31日の宗教改革記念日まで、 日を越して続いた祝賀式典により再び聖別された。 月に一度、ベルリンの セント・ジョージ英国国教会の僧侶による 晩祷(ばんとう)が英語で執り行われる。 →約150km *プラハ ホテル:ムーヴェンピック |
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第4日 9月24日 |
【行程】 |
★第4日:9月24日: |
第4日 アルバム |
【メモ】 |
7:00に食事 MOVENPICK HTLは一流だ。 |
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【観光地】 | ★第4日:プラハ観光: *プラハ城: プラハ城(チェコ語:Pra?sky hrad)はプラハにある城。 かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、 現在はチェコ共和国(元チェコスロバキア連邦共和国) の大統領府のある場所である。 ボヘミア国王の宝冠はここで保管されている。 プラハ城は世界でも最も大きい城の一つであり (「ギネスブック」によると、最も古くて大きい城である)、 敷地の広さは東西430メートル、南北70〜140メートルで細長い形をしており、 大きさは長さは約570m、平均の幅は約130mである。 10世紀には既にこの大きさであったと考えられている。 城はフラチャヌィの丘の頂にある。 その麓にマラー・ストラナという城下町がある。 城と麓の高低差は80メートルもある。城まで続く坂道がネルドヴァ通りで、 土産物店やレストランが並び市電も走っており賑やかである。 上り詰めると城の正門に突き当たり、石畳のフランチャヌィ広場がある。 この広場は「アマデウス」や「レ・ミゼラブル」 などの映画に何度の登場している。 *カレル橋 : カレル橋(カレルばし、チェコ語: Karl?v most)はチェコ共和国の首都、 プラハを流れるヴルタヴァ川に架かる橋である。 神聖ローマ皇帝カール4世の治世下1357年に建設が始まり1402年に完成した。 建築家ペトル・パルレーの設計による。1841年までプラハ旧市街とその周囲を つなぐ唯一の橋であった。また、西欧と東欧の交易ルートとして プラハが重要な地位を占めるようになった。最初は単に石橋、 プラハ橋と呼ばれていたが1870年よりカレル橋と呼ばれるようになった。 旧市街広場 (チェコ: Cs-Staromestske_namesti_ |
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第5日 9月25日 |
【行程】 | ★第5日: ウイーン観光: *シェーンブルン宮殿 *ヴェルヴェデーレ宮殿 →約70km *ブラチスラバ観光 *ブラチスラバ城 *旧市街 → 190km *ブタペスト ホテル:ブダベスト |
第5日 アルバム |
【メモ】 | ★第5日: 【メモ】 *朝7時前に食堂へ1番乗り *食後 裏山のウイーンのお森を散歩、約50分 歩き *8:30 予定より早く出発 シェーンブルグ シェーンブルグ 10:20 集合・出発 11:45 学友会館 昼食ウイーン KARDOS |
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【観光地】 | ★第5日: ウイーン観光: *シェーンブルン宮殿 シェーンブルン宮殿(シェーンブルンきゅうでん、 ドイツ語:Schloss Schonbrunn)は、 オーストリアの首都ウィーンにある宮殿。 ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用した。 現在、同宮殿と庭園群は世界遺産に登録されている。 シェーンブルン宮殿は、ウィーンの中心部シュテファン大聖堂から西に直線で 約5kmの位置にある。市内からは地下鉄U4号線に乗りシェーンブルン駅下車。 庭園は東西約1.2km、南北約1kmの規模で、1779年頃から公開されている。 建物は、あらゆる部屋を合計すると1,441室あり、両翼の端から端まで180mあり、 正面右側翼には宮廷劇場がある。また、広いフランス式庭園を挟んで 宮殿に向かい合う丘の上にはグロリエッテという対プロイセン戦の 勝利と戦没者の慰霊の為に立てたギリシャ建築の記念碑(未完成)があり、 ここからは周囲が一望できる(写真はこの丘からの眺望)。 オーストリアで一番重要な観光資源で、年間入場数150万人。 更に公園と動物園や行事での集客数520万人を合計すると年間には 670万人が訪れる。外壁は金を塗ろうとしたところ、 マリア・テレジアが財政の状況を考慮し、黄金に近い黄色にした、 これをテレジア・イエローと云うが、彼女が好んでいた色というわけではない。 *ヴェルヴェデーレ宮殿 もともとハプスブルク家に仕えたプリンツ・オイゲンが、 当時の代表的な建築家であるヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント (Johann Lukas von Hildebrandt)に、夏の離宮として造らせたものである。 1714から1716年にかけて下宮(Unteres Belvedere)、 1720から1723年にかけて上宮(Oberes Belvedere)が建設された。 プリンツ・オイゲンの死後1752年に、ハプスブルク家の マリア・テレジアに売却された。 現在はオーストリア絵画館になっている。 オーストリアで2番目に大きな美術館である。 オーストリアの20セントユーロ硬貨の裏面には、 門越しに見た宮殿が彫られている。 また、この宮殿の構内に作曲家ブルックナーが晩年を過ごした邸宅がある。 GustavKlimt 接吻 →約70km *ブラチスラバ観光 *ブラチスラバ城 スロバキアの首都、ブラチスラバに建つブラチスラバ城。 ドナウ川に沿う丘の上に建つ。城の4隅に塔が立っているので 「ひっくり返したテーブル」とも呼ばれている。城の下では、 4隅を入れた城の全体像を撮ろうとしてもカメラの視野からはみ出てしまう。 9世紀、大モラビア王国時代には宮殿が作られ、17世紀になって、 オスマントルコの侵入に備えるため4つの塔が追加・改築されて 現在の姿になったとようである。 18世紀、マリア・テレジア時代にはブラチスラバ城は バロック風に改築された。 マリア・テレジアは、義理の息子であるアルベルト・テッシェンを ハンガリー総督にしこの城を与えた。 マリア・テレジアも居城として使用していた。 しかし、マリア・テレジアの死とともに城は衰退し、 19世紀に入って火事で焼失した。復旧は、 第2次世界大戦後のチェコスロバキア時代です。 現在は、歴史博物館等として使われている。 → 190km *ブタペスト ホテル:ブダベスト |
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第6日 9月26日 |
【行程】 | ★第6日: ブダベスト観光 *旧王宮 *漁夫の砦 *ゲレルトの丘 *くさり橋 *マーチャーシュ教会 【OP】ドナウベントの観光 【OP】ナイトクルーズ *ブタペスト ホテル:ブダベスト |
第6日 アルバム |
【メモ】 | ★第6日: ブタペスト: DANUBIUS HTLS 9:00発 9:10 HILTON前 西駅周辺撮影 9:20 HILTON 発 川の手前 PEST :向こう岸 BUDA 英雄広場 893年 マジャールの渡来 トルコ ハプスブルグ などの流入支配 1989年 自由化 音楽家 :コダーイ;フランツ・リスト パプリカの産地・・・カロウチャの刺繍が有名・・・ 農閑期に作るらしい。 ゲレルトの丘:12:05〜12:15 昼食:1時過ぎから ビール:DREHER CLASSIC・・・味は? エステルゴム・・・PM3:30発・・・→ セルヴィア・・・教会 ヘレンド村・・・・ブタペストの陶器 |
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【観光地】 | ★第6日: ブダベスト観光 ハンガリーの首都であり、同国最大の都市である。 「ブダペスト」として一つの市でドナウ川の両岸を占めるようになったのは 1873年11月17日に西岸のブダとオーブダ、東岸のペストが合併してからである。 ブダペストはヨーロッパでも最も美しい街の一つで、 ドナウ川河岸を含め世界遺産が広がりブダ城やアンドラーシ通り、 英雄広場は良く知られている。 ブダペスト地下鉄1号線Millenniumi Foldalatti Vasutはロンドン地下鉄に 次いで世界で2番目に古い地下鉄である。 ブダペストの他のハイライトはセーチェーニ温泉を含めた80の温泉で 世界でも最大の地下熱水系統がある。 世界で3番目に大きなシナゴーグであるドハーニ街シナゴーグや 国会議事堂などもブダペストの見所である。ブダペストの観光客数は 年間270万人に上り、ロンドンにある民間調査機関ユーロモニターによれば ブダペストは世界で37番目に旅行者が多い観光地であるとされている。 *旧王宮:王宮 Budavari Palota: この地に初めて王宮が建てられたのは13世紀半ば頃。 15世紀のマーチャーシュ1世の時代には、イタリアから呼び寄せられた 職人や芸術家によりルネッサンス様式に改築された。 しかし、1686年のハプスブルク軍とトルコの戦いにおいて、 完全に破壊されてしまう。その後、バロック様式で新たに建てられたものの、 大火災や二度の世界大戦で破壊され、 現在見られる姿は1950年代に入ってから完成したものだ。 ****************************** モンゴルの来襲後13世紀半ばに建てられた後、 増改築を重ね中欧ルネッサンス中心地になった場所です。 その後大火災や戦争などで破壊・修復が繰り返され、 1950年代になって現在の形状に。 現在は美術館や博物館として利用されています。 ************************ *漁夫の砦: マーチャーシュ教会の裏手にあるこの砦からは、 ドナウ川越しにペスト地区が一望でき、まさに絶景! 砦といっても、町の美化計画の一環として、 建築家シュレック・フリジェシュにより20世紀初頭に造られたもの。 ネオロマネスク様式の7つの塔と回廊から成っている。 マーチャーシュ教会との間に勇ましく立つのは、 ハンガリー初代国王聖イシュトヴァーンの像だ。 *ゲレルトの丘: |
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第7日 9月27日 |
【行程】 | ★第7日: ブダベスト発 11:05 帰国 アムステルダム着 13:15 アムステルダム発 14:25 |
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【メモ】 | ★第7日: *6:45位にレストランに行き一番乗りで始めた *窓の下には早朝の通学生の列 *昨日のドナウ、クサリ橋、夜の船乗りの写真 撮影方法・・・もう少し練習が必要 長瀬・・・添乗員の名と思う。 |
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【観光地】 | ★第7日: ブダベスト発 11:05 帰国 アムステルダム着 13:15 アムステルダム発 14:25 **************************** 11:05 発 AMS発 14:25 →関空着8:35 #26ゲート・・・時間待ち:前のデューテイフリーで買い物 10:30にゲートインの予定が遅れている。 11:05出発予定・・混雑のため30分遅れ 1HR位遅れてブタペスト出発。 |
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第8日 9月28日 |
【行程】 | ★第8日 : 関西空港着: 08:35 |
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