★中央ヨーロッパ周遊:H16年9月:  
     海外旅行の記録を整理しているがこれが最後になる。
丁度10年前なので殆ど記憶が消えている。
主な観光地をWEBで検索して自分の記憶、写真などを見ながら羅列した
 
 第1日
9月21日  
【 行程】

★第1日:
*関西空港発 10:30   アムステルダムで乗継→ベルリン
*アムステルダム着 15:15  スキポール空港
*アムステルダム発 16:05 
*ベルリン 着   17:20   →ホテル
           ホテル: ホッペンガルテン

 
 【メモ】  ★第1日:
いつものことだが予定より早く、自宅を出た。
関空で約1時間の余裕。朝食のサンドウイッチとコーヒーの後、
4Fの団体受付で書類を受け取る。
  への交換を忘れて、本館の南ウイングまで戻った。
すこし慌ててモノレールで往復したのを思い出す。
関空発 10:30
スキポール空港まで11時間:時差7Hr
途中で疲れたので、「釣りバカ日誌」を見たら楽になった。
AMSTBERLIN夕方両所で小雨。
西ベルリン、テーベル空港(TEGEL)着。
バスで移動・・・ソニービルの偉容に驚いた
自動車の輸入関税が100%でカローラ=300万円もするそうだ。
夜の独立記念塔、TVタワー、ビル街、を通って約30分でHTL。
HOTEL HOPPEN GARTEN BERLIN
現地時間 pm8:25
 
 第2日
9月22日   
 【行程】

★第2日:
ベルリン :観光: *ベルリンの壁
           *ペルガモン博物館
           *ブランデンブルグ門
           *ベルリン大聖堂
              180km
           *マイセン:マイセン焼きの実演
            約25km   ドレスデン
           ホテル:ゼス エアポート 

 第2日
アルバム
 【メモ】  第2日:
早朝の散歩に出かけた。
地元の学校に出くわした。
(ホテルの窓を開けると直ぐ下にも学校があった)
小・中・高が同じ学校の様。
登校には徒歩や自転車、車で送り等いろいろ。
周辺は石畳、田舎風の家々がありそれぞれ広いスペース。
ホテルに戻り朝食・・・アメリカンで豊富、朝食の写真を撮るのを忘れた。
 
 【記録】  9:04出発
三国同盟、ROMEBELLINTOKYO・・・
の頭文字を取って、当時はROBERTOの名前の子供が多かった。
ベルリンの人口=350万人
昔のポツダム広場POTZDAMER PLATZ・・が再開発されて、
5年前に
ダイムラーCITY やSONYCENTER に生まれ変わった。

http://www.arch-hiroshima.net/a-map/germany/potsdamerplatz.html

ソニーは4年前にヨーロッパ本部をイギリスからここに移動した。
東西統一から15年
ベルリンの壁・・・1部が記念に保存されていた。
ブランデンブルグ門・・・UNTERLINDEN BAUM 通り
現在はこの門のみ残る。
昼食:12時〜13:00 
前菜サラダ:ソーセージ:ケーキデザート(Cherry+ラム酒)
ベルリン 339〜350万人
ドイツ 8000万人
ベルリン〜マイセン180km〜24kmドレスデン
今回の5日間での移動距離は合計約1000km
pm3:00 SA発
バスの中でオプシヨン2人分 ¥17000 を支払った。
・エルベ川(ドイツ)モルダウ(チェコ) スメタナ作曲家
・チェコ:ビールで有名:VIJVBITZI →BUDWEISER
 江戸時代よりビール造り
・ドレスデン40万人
    ビール生産 MUNNCHEN=No.1
          ドレスデン=No.2
・ドイツ人のポリシー: 住・衣・食
夕食でビール大とワインを飲んだ。
宿泊:PREMIER AIRPORT HOTEL DRESDEN

 
 【観光地】  ★第2日 :ベルリン :観光:
*ベルリンの壁 

ベルリンの壁(ベルリンのかべ ドイツ語: Berliner Mauer)とは、
冷戦の真っ只中にあった1961813日にドイツ民主共和国(東ドイツ)
政府によって建設された、西ベルリンを包囲する壁である。
19891110日に破壊され、
1990103日に東西ドイツが統一されるまで、
この壁がドイツ分断や冷戦の象徴となった。













 *ペルガモン博物館:

ペルガモン博物館 (Pergamonmuseum) は、
ドイツのベルリンにある博物館の1つである。
博物館島にあり、館名の由来にもなっている
「ペルガモンの大祭壇」を始めとするギリシャ、
ローマ、中近東のヘレニズム美術品、
イスラム美術品などを展示する。




博物館島は、ベルリン市内を流れるシュプレー川の中洲であり、
かつての東ベルリンに位置する。中洲の北半分にペルガモン博物館のほか、
ボーデ博物館 (Bodemuseum)、旧国立美術館 (Alte Nationalgalerie)
旧博物館 (Alte Museum)、新博物館 (Neue Museum) の計5館の国立博物館が集中している。
この地は19世紀半ば、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世によって
「芸術と科学のための地域」に定められたものである。

*イシュタール門






紀元前575年、新バビロニアのネブカドネザル2世により建設された。
青い釉薬瓦で、バビロンの女神イシュタルと共に、ムシュフシュ、
オーロックスの浅浮き彫り(en)などが描かれている。

それまで世界7不思議の一つとして数えられていたが、西暦6世紀、

アレクサンドリアの大灯台に代わった。
イシュタル門周囲の発掘をもとに、1930年代にはベルリンのペルガモン博物館に
モザイクで彩られたイシュタル門の復元が完成した。またバビロンにも門と
一部モザイクのレプリカが完成したが、イラク戦争で被害にあっている。


【世界7不思議 】


古典古代における「世界の七不思議」の位置()
一般的に挙げられる七不思議は以下の7つである。
ギザの大ピラミッド
バビロンの空中庭園
エフェソスのアルテミス神殿
オリンピアのゼウス像
ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
ロドス島の巨像
アレクサンドリアの大灯台

*ブランデンブルグ門 :


ベルリン関税障壁と門の建設:
ベルリン税関壁(赤色)。星形要塞のまわりに建設された計画的な新市街
をも取り囲むよう設置された

ベルリンはかつて星型要塞に囲まれた城郭都市だったが、市街地の要塞外への
拡大と軍事的価値の減少に伴い、1734年にプロイセン王
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は要塞の廃止を命じた。
その代わりに市街地全体を大きく取り囲むようにベルリン税関壁が設けられた。

ベルリンから各地に向かう街道と壁が交差するところには、
14か所(のちに18か所に増える)
の関税門が設けられ、それぞれ「ハンブルク門」「シレジア門」
「ポツダム門」「アンハルト門」などと呼ばれ、
ブランデンブルク門も関税門のひとつであった。
どの門も、街道の先にある都市や地方の名前が門の名前になっており、
ブランデンブルク門の場合はホーエンツォレルン家
(ブランデンブルク辺境伯から、プロイセンの地を得てプロイセン王国の王、
ドイツ帝国の皇帝となった)
がベルリンに遷都するまで、ブランデンブルク辺境伯国の首都だった
ブランデンブルクに通ずる道を扼する役割を担っていた。
1868年に税関壁の取り壊しとともに門も多くが姿を消していく中、
ブランデンブルク門は残された。
現在、城壁や都城の門は跡形もなくなったが、ベルリンには

『〜Tor
(門)』という地名はそこかしこに残されている。





























 *ベルリン大聖堂:



もともとの教会がヴィルヘルム2世の命令によって
1905年に建て替えられ、
現在の姿となった。
王家ゆかりの人々の墓碑などがある。
114mの高さを誇る天蓋は第二次世界大戦で被害を受けたが、
1993年に修復され現在の姿を取り戻した。
270段の階段を昇って天蓋部分へ出ることもできる。

  
180km

*マイセン:
東洋からもたらされた白磁は、
17
世紀ごろの西洋社会では憧れの芸術品であった。
各国が競ってその製造開発に乗り出し、http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c0/Meissen-Porcelain-Table.JPG/800px-Meissen-Porcelain-Table.JPG
ザクセン選帝侯兼ポーランド王の
アウグスト2世も錬金術師
ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを幽閉し、
白磁を作るように命じた。
ベトガーは物理学者・数学者・哲学者
エーレンフリート・ヴァルター・
フォン・チルンハウスらの協力を得て、
1709年にザクセン・フォークラント地方の
アウエ鉱山のカオリンを原料とした
白磁の製造に成功した。
アウグスト2世はこれに大満足し、
西洋磁器の歴史の幕が開けた。



「マイセン」

300年前、ヨーロッパで初めて硬質磁器を生みだしたドイツの名窯「マイセン」。

 約25km   ドレスデン
        ホテル:ゼス エアポート 

 
 第3日
9月23日  
 【行程】  ★第3日:
ドレスデン観光:
        *ツヴィンガー宮殿
        *ゼンパーオペラ
        *劇場 広場
        約150km
        *プラハ 
     ホテル:ムーヴェンピック 
 第3日
アルバム
 【メモ】 第3日:
朝ホテルの右手方向に散歩:通勤の車列や黄色い電車などを見る。
ツインガーGyallerry
フェルメール・・・手紙を読む女

チチアーノ ・・・VENUS:寝姿
              などを急ぎ足で鑑賞した。                    
pm1:30 ドレスデン発
1コルナ4円 (チェッコの通貨)
チェコの生活水準1/4対日本
月収: チェコ 7万円
    日本 28万円
    ドイツ 21万円
国境:プラハの雪解け:春
検問の様子も随分変わった
TrapFamily・・・・を思い出す。
HOTEL:MOVENPICK PRAGNA 立派なホテル
pm10時 就寝
 
 【観光地】  第3日:ドレスデン観光:
ドレスデン:
ドレスデンは、12世紀以来ザクセン選帝侯の宮廷都市
として栄えたエルベ川沿いの町で、
 豊かな歴史的遺産と美しい景観の町です。
 「エルベの真珠」と讃えられています。

*ツヴィンガー宮殿:
*東洋陶器の収集:




*ツヴィンガー宮殿
(ツヴィンガーきゅうでん、独: Zwinger)は、
ドイツ、ザクセン州の州都ドレスデンにある
バロック様式の宮殿で、
中庭に庭園を有する。
現在は、ドレスデン美術館の重要な構成要素である
アルテ・マイスター絵画館等として利用されている。


19
世紀に入ると、宮殿を補修し、選帝侯が収集してきた美術品収集の場
として利用するための整備が行われる。また、
1869年に火災で焼失した宮廷歌劇場の再建が、
ゴットフリート・ゼンパーに依頼され、
ゼンパー・オーパーが建設されている。

その後もツヴィンガーの建築群を維持するための作業が続けられたが、
第二次世界大戦におけるドレスデン爆撃で、
ツヴィンガーの建築群は大きな被害を受けた。
戦後、損害が調査され、補修が開始されて、
1951年には中庭が利用に供されている。
その後も補修が継続され、次第に公開部分が拡大され、
1963年にはほぼ戦前の姿を取り戻したが、
ゾフィー教会は1962年に取り壊されている。
2002年には、エルベの水害により、再び甚大な被害を受けている。


*ゼンパー・オーパー


ゼンパー・オーパー(Semper Oper)は、
ドイツ・ザクセン州の
州都ドレスデンにある州立歌劇場の愛称。
東ドイツ時代は国立の歌劇場で
ドレスデン国立歌劇場と呼ばれたが、
現在はザクセン州立である
(旧称で呼ばれることも多い)。
専属の管弦楽団は、
シュターツカペレ・ドレスデンの名で
コンサートや単独録音も行い、
非常に人気が高い。

*フラウエン教会:


聖母教会(せいぼきょうかい、
Dresdner Frauenkirche)は、
ドイツ東南部ザクセン州のドレスデンに
ある福音主義のキリスト教会である。
この教会はドイツ福音主義教会を
構成するザクセン福音ルター派州教会に
属している。

教会の建物は第二次世界大戦中の
ドレスデン爆撃を乗り切ったものの、
完全に焼損し爆撃の翌日崩壊した。
現在はかつての敵同士の和解を象徴する
建築物として再建された。外部の復元は2004年に、
屋内は再建の開始より13年後の2005年に完了し、
教会は20051030日からプロテスタントの
感謝祭である1031日の宗教改革記念日まで、
日を越して続いた祝賀式典により再び聖別された。

月に一度、ベルリンの
セント・ジョージ英国国教会の僧侶による
晩祷(ばんとう)が英語で執り行われる。




  約150km
        *プラハ 

     ホテル:ムーヴェンピック
 
 第4日
9月24日  
 【行程】

★第4日:9月24日:
プラハ観光: 
         *プラハ
         *カレル橋

         *旧市街

         *聖ビート教会

         
約290km
        ウイーン

       ホテル:アルティスタワー 
 

 第4日
アルバム
 【メモ】

7:00に食事  MOVENPICK HTLは一流だ。
 7:30頃から
隣のMOZARTが住んだと言うMUSEUM、公園を訪れたが
 9:30
OPEN残念ながら中には入れなかった。
近くの人がシェパードとダックスフンドを連れて散歩していた。

坂を下りて左に曲がり道路沿いに行くと古い建物に「SECOL」の看板があり
高校生くらいの子供がどんどん登校していた。
8:00頃HTLに戻る。小雨がまた降りだした。
昨夕運転手が警官にチェックされていた。
まだ他地区の人には意地悪をすることがあるのかなー?
STAROPRAMEN」 昼食の店の名前?
*午後 13:00過ぎに 昼食後
 ウイーンへ約5〜5.5HR
S.A pm3:15発
50万都市 BRUNO pm4:45
pm5:00 オーストリア 国境 ユーロOK
pm5:40 国境通過 オーストリア 入国
pm19:00 ウイーン市内 環状線
ウイーンで夕食
ウイーン到着まで渋滞・事故などで予定より大分遅れた。
夕食も遅れてオプシヨンの出発が8:30の予定が9:40になった。
帰りの予定も11:40となった。これには行かなくて良かった。
風呂に入った後、家内は直ぐに寝てしまった。昨夕もpm9:50
ウイーンのHTLは古くすべて昨夕のHTLより落ちる。
ARTIS TOWER HTL 星4個・・・基準がおかしい旧東体制のままか?

 
 【観光地】  ★第4日:プラハ観光: 

*プラハ城:




プラハ城(チェコ語:Pra?sky hrad)はプラハにある城。
かつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、
現在はチェコ共和国(元チェコスロバキア連邦共和国)
の大統領府のある場所である。
ボヘミア国王の宝冠はここで保管されている。
プラハ城は世界でも最も大きい城の一つであり
(「ギネスブック」によると、最も古くて大きい城である)、
敷地の広さは東西
430メートル、南北70140メートルで細長い形をしており、
大きさは長さは約
570m、平均の幅は約130mである。
10世紀には既にこの大きさであったと考えられている。
城はフラチャヌィの丘の頂にある。
その麓にマラー・ストラナという城下町がある。
城と麓の高低差は
80メートルもある。城まで続く坂道がネルドヴァ通りで、
土産物店やレストランが並び市電も走っており賑やかである。
上り詰めると城の正門に突き当たり、石畳のフランチャヌィ広場がある。
この広場は「アマデウス」や「レ・ミゼラブル」
などの映画に何度の登場している。


*カレル橋 :

カレル橋(カレルばし、チェコ語: Karl?v most)はチェコ共和国の首都、
プラハを流れるヴルタヴァ川に架かる橋である。

神聖ローマ皇帝カール4世の治世下1357年に建設が始まり1402年に完成した。
建築家ペトル・パルレーの設計による。
1841年までプラハ旧市街とその周囲を
つなぐ唯一の橋であった。また、西欧と東欧の交易ルートとして
プラハが重要な地位を占めるようになった。最初は単に石橋、
プラハ橋と呼ばれていたが
1870年よりカレル橋と呼ばれるようになった。













*旧市街 : 



http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2c/Old_Town_Square%2C_Prague_-_Starom%C4%9Bstsk%C3%A9_n%C3%A1m%C4%9Bst%C3%AD%2C_Praha.jpg




旧市街広場 (チェコ: Cs-Staromestske_namesti_
Staromak.ogg Starom
?stske nam?sti
[
ヘルプ/ファイル]) は、チェコ共和国のプラハ旧市街にある歴史的に由緒ある広場のことである
プラハ旧市街広場はヴァーツラフ広場とカレル橋の間にあり、多くの場合、
夏には観光客でたいへんなにぎわいをみせる。ゴシック様式のティーン教会と
バロック様式の聖ミクラーシュ教会を含む様々な建築様式を見ることができる。
広場はプラハの狭い道でうんざりした旅行者のひとときの憩いの場でもある。
旧市庁舎の塔から旧市街に軒を連ねたショップの全景を見渡せ、また、
観光客は多くの教会に囲まれた中で広場にある天文時計を
容易に見つけることができる。


歴史地区:

プラハ市街中心部、ヴルタヴァ川の東岸に位置する旧市街から南の新市街まで、
西岸のフラッチャニ地区およびマラー・ストラナ地区、計
866ha
登録対象地域となっており、

11
世紀から18世紀にかけてのさまざまな時代様式の建築物が残る。

*聖ビート教会 :
聖ヴィート大聖堂 (チェコ語:Katedrala svateho Vita)はチェコの
プラハにある大聖堂で、プラハ大司教の司教座聖堂である。

大聖堂の正式名称は「聖ヴィート、聖ヴァーツラフ、
聖ヴォイテフ(
Vojt?ch)大聖堂」である。
プラハ城の内側に位置し、多くのボヘミア王の墓を有する。
この大聖堂はゴシック建築の代表例であり、
チェコで最も大きくて重要な教会である。
正面に
82メートルの二本の塔、中ほどに99メートルの鐘楼が立っている。
大聖堂の内部は、天井の高さ
34メートル、幅60メートル、
奥行き
124メートルの大空間である。


 約290km
   ウイーン:ホテル:アルティスタワー   

 
 第5日
9月25日  
 【行程】  ★第5日:
 ウイーン観光:
      *シェーンブルン宮殿
      *ヴェルヴェデーレ宮殿
        約70km
      *ブラチスラバ観光
      *ブラチスラバ城
        *旧市街
       190km
     *ブタペスト
    ホテル:ブダベスト
 第5日
アルバム
 【メモ】  第5日:
【メモ】
*朝7時前に食堂へ1番乗り
*食後 裏山のウイーンのお森を散歩、約50分 歩き
*8:30 予定より早く出発  シェーンブルグ
 シェーンブルグ 10:20 集合・出発
 11:45  学友会館
  昼食ウイーン KARDOS
 
 【観光地】  ★第5日: ウイーン観光:
*シェーンブルン宮殿 

シェーンブルン宮殿(シェーンブルンきゅうでん、
ドイツ語:Schloss Sch
onbrunn)は、
オーストリアの首都ウィーンにある宮殿。
ハプスブルク王朝の歴代君主が主に離宮として使用した。

現在、同宮殿と庭園群は世界遺産に登録されている。
シェーンブルン宮殿は、ウィーンの中心部シュテファン大聖堂から西に直線で
5kmの位置にある。市内からは地下鉄U4号線に乗りシェーンブルン駅下車。
庭園は東西約1.2km、南北約1kmの規模で、1779年頃から公開されている。

建物は、あらゆる部屋を合計すると1,441室あり、両翼の端から端まで180mあり、
正面右側翼には宮廷劇場がある。また、広いフランス式庭園を挟んで
宮殿に向かい合う丘の上にはグロリエッテという対プロイセン戦の
勝利と戦没者の慰霊の為に立てたギリシャ建築の記念碑(未完成)があり、
ここからは周囲が一望できる(写真はこの丘からの眺望)。
オーストリアで一番重要な観光資源で、年間入場数150万人。
更に公園と動物園や行事での集客数520万人を合計すると年間には
670
万人が訪れる。外壁は金を塗ろうとしたところ、
マリア・テレジアが財政の状況を考慮し、黄金に近い黄色にした、
これをテレジア・イエローと云うが、彼女が好んでいた色というわけではない。















*ヴェルヴェデーレ宮殿

 もともとハプスブルク家に仕えたプリンツ・オイゲンが、
当時の代表的な建築家であるヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント
Johann Lukas von Hildebrandt)に、夏の離宮として造らせたものである。
1714から1716年にかけて下宮(Unteres Belvedere)、
1720から1723年にかけて上宮(Oberes Belvedere)が建設された。
プリンツ・オイゲンの死後1752年に、ハプスブルク家の
マリア・テレジアに売却された。
現在はオーストリア絵画館になっている。
オーストリアで2番目に大きな美術館である。
オーストリアの20セントユーロ硬貨の裏面には、
門越しに見た宮殿が彫られている。
また、この宮殿の構内に作曲家ブルックナーが晩年を過ごした邸宅がある。

GustavKlimt  接吻








 約70km

 *ブラチスラバ観光
 *ブラチスラバ城 

スロバキアの首都、ブラチスラバに建つブラチスラバ城。
ドナウ川に沿う丘の上に建つ。城の4隅に塔が立っているので
「ひっくり返したテーブル」とも呼ばれている。城の下では、
4隅を入れた城の全体像を撮ろうとしてもカメラの視野からはみ出てしまう。

 9世紀、大モラビア王国時代には宮殿が作られ、17世紀になって、
オスマントルコの侵入に備えるため4つの塔が追加・改築されて
現在の姿になったとようである。

 18世紀、マリア・テレジア時代にはブラチスラバ城は
バロック風に改築された。
マリア・テレジアは、義理の息子であるアルベルト・テッシェンを
ハンガリー総督にしこの城を与えた。
マリア・テレジアも居城として使用していた。
しかし、マリア・テレジアの死とともに城は衰退し、
19世紀に入って火事で焼失した。復旧は、
第2次世界大戦後のチェコスロバキア時代です。
現在は、歴史博物館等として使われている。

 190km
  *ブタペスト

   ホテル:ブダベスト
 
 第6日
9月26日  
 【行程】  ★第6日:
ブダベスト観光
      *旧王宮
     *漁夫の砦
     *ゲレルトの丘
      *くさり橋
      *マーチャーシュ教会
    【OP】ドナウベントの観光
     【OP】ナイトクルーズ
      *ブタペスト
      ホテル:ブダベスト
 第6日
アルバム
 【メモ】  ★第6日:
ブタペスト:
 DANUBIUS HTLS 
9:00発 9:10 HILTON前 西駅周辺撮影
9:20 HILTON 発
川の手前 PEST :向こう岸 BUDA
英雄広場
893年 マジャールの渡来
トルコ ハプスブルグ などの流入支配
1989年 自由化
音楽家 :コダーイ;フランツ・リスト 
パプリカの産地・・・カロウチャの刺繍が有名・・・
    農閑期に作るらしい。

ゲレルトの丘:12:05〜12:15
昼食:1時過ぎから
ビール:DREHER CLASSIC・・・味は?
エステルゴム・・・PM3:30発・・・
セルヴィア・・・教会
ヘレンド村・・・・ブタペストの陶器
 
 【観光地】  ★第6日:
ブダベスト観光   

ハンガリーの首都であり、同国最大の都市である。

「ブダペスト」として一つの市でドナウ川の両岸を占めるようになったのは
1873
1117日に西岸のブダとオーブダ、東岸のペストが合併してからである。

ブダペストはヨーロッパでも最も美しい街の一つで、
ドナウ川河岸を含め世界遺産が広がりブダ城やアンドラーシ通り、
英雄広場は良く知られている。
ブダペスト地下鉄1号線Millenniumi F
oldalatti Vasutはロンドン地下鉄に
次いで世界で2番目に古い地下鉄である。
ブダペストの他のハイライトはセーチェーニ温泉を含めた80の温泉で
世界でも最大の地下熱水系統がある
世界で3番目に大きなシナゴーグであるドハーニ街シナゴーグや
国会議事堂などもブダペストの見所である。ブダペストの観光客数は
年間270万人に上り、ロンドンにある民間調査機関ユーロモニターによれば
ブダペストは世界で37番目に旅行者が多い観光地であるとされている

 *旧王宮:王宮 Budavari Palota
この地に初めて王宮が建てられたのは13世紀半ば頃。
15世紀のマーチャーシュ1世の時代には、イタリアから呼び寄せられた
職人や芸術家によりルネッサンス様式に改築された。
しかし、1686年のハプスブルク軍とトルコの戦いにおいて、
完全に破壊されてしまう。その後、バロック様式で新たに建てられたものの、
大火災や二度の世界大戦で破壊され、
現在見られる姿は1950年代に入ってから完成したものだ。

******************************

モンゴルの来襲後13世紀半ばに建てられた後、
増改築を重ね中欧ルネッサンス中心地になった場所です。
その後大火災や戦争などで破壊・修復が繰り返され、
1950年代になって現在の形状に。
現在は美術館や博物館として利用されています。

************************
*漁夫の砦:
マーチャーシュ教会の裏手にあるこの砦からは、
ドナウ川越しにペスト地区が一望でき、まさに絶景! 
砦といっても、町の美化計画の一環として、
建築家シュレック・フリジェシュにより20世紀初頭に造られたもの。
ネオロマネスク様式の7つの塔と回廊から成っている。
マーチャーシュ教会との間に勇ましく立つのは、
ハンガリー初代国王聖イシュトヴァーンの像だ。

*ゲレルトの丘:

ゲッレールト山(ハンガリー語: Gellert-hegy )
ドイツ語: Blocksberg、ラテン語: Mons Sancti Gerhardi
トルコ語: G
urz Elyas bayiri)とはハンガリーブダペスト11
にあるドナウ川を臨む標高235 mの高さを有す“山”である。
また、山の麓にあり、隣に自由橋を有するゲッレールト広場には
ホテル・ゲッレールトやゲッレールト温泉等の有名な施設が見られる。
また、山はゲッレールト山洞窟が存在し、
ホテル・ゲッレールト及びドナウ川に対面している。

一般的にはゲッレールト山として知られているが、
1847年のブダ市議会でこの山はケレン岳 (Kelen-b
erc ケレン・ベールツ)
と命名されており、法令上はこれが正式な名称である。


  *くさり橋:
王宮の丘のふもとに掛かるブダとペストを初めて結んだ橋で、
ブダペストのシンボルです。セーチェニ・イシュトバーン伯爵が
ブダ側で行われる自分の父親の葬儀に出席できなことをきっかけに
『そうだ、橋を造ろう』(と言ったかは定かではないです)
と提唱して実現した橋。
その後壊されたり修復したり何やら数々の歴史的な出来事と深く関係ある橋。
橋の両側に合計4頭のライオンがたたずんでいますが、
このライオンたちに舌がないことを周囲に指摘された橋の建築家は
それを苦に自殺したという逸話が残っています。
王宮の丘のふもとからペスト側に掛かり、歩いて渡ることも可能です。
そう長くないので、お天気がいい場合はお散歩がてら歩いて
渡るのもいいと思います。
ドナウ川の真ん中から見るブダペストの景色もまた綺麗です。


  *マーチャーシュ教会:
3
世紀半ばにロマネスク様式で建てられたのが基だが、
後にゴシック様式に改築された。
トルコによる支配時にはフレスコ画が塗り込められモスクに変えられたり、
2次世界大戦では破壊されたりといった歴史を乗り越えてきた。

    【OP】ドナウベントの観光:
     【OP】ナイトクルーズ:
     *ブタペスト

      ホテル:ブダベスト

 
 第7日
9月27日  
 【行程】  ★第7日:
 ブダベスト発 11:05     帰国
      アムステルダム着  13:15
      アムステルダム発   14:25
 
 【メモ】  第7日:
*6:45位にレストランに行き一番乗りで始めた
*窓の下には早朝の通学生の列
*昨日のドナウ、クサリ橋、夜の船乗りの写真
 撮影方法・・・もう少し練習が必要
長瀬・・・添乗員の名と思う。
 
 【観光地】  ★第7日:
 ブダベスト発 11:05     帰国
      アムステルダム着  13:15
      アムステルダム発   14:25
****************************
11:05 発
AMS発 14:25 関空着8:35
#26ゲート・・・時間待ち:前のデューテイフリーで買い物
10:30にゲートインの予定が遅れている。
11:05出発予定・・混雑のため30分遅れ
1HR位遅れてブタペスト出発。
 
 第8日
9月28日 
 【行程】  ★第8日 :
関西空港着: 08:35 
  
       
       
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